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論点整理:男女格差是正とジェンダーフリー

ジェンダーフリーの根本的な前提を支えてきた主張が、女性の「生活実感」からどうやら乖離しつつあるらしい。

Twitter上のフェミニストたちが、最近になって、かなり本音で語り始めたからだ。これは、非常に興味深い事象なので、簡単にまとめておきたい。

男女の賃金格差が問題である、ということについては、フェミニズム並びに左派リベラリズムを信奉する人々の中では大前提として共有されているものであった。


 “女性の賃金は男性よりも低いのが当たり前”という風潮と慣行は、職場や家庭でも男女不平等をつくりだしています。女性の労働は家計補助として扱われ、パートなど非正規雇用に追いやられてきました。共働き夫婦に子どもが生まれれば、賃金の低い妻が休職・退職を選び、家事や育児の責任を引き受けがちです。離婚すると経済的に自立できないため、配偶者の暴力から逃げられない女性がいます。賃金の平等は、女性の社会的地位を高め、ジェンダー平等を達成するための中心課題です。

赤旗「主張」2022年1月29日(土)

一方で、国家の経済力をあげていく施策として「女性の社会進出=女性活躍推進」を国も推しています。でも男も女も家庭から外へ出て行ったら、家に誰もいなくなって子どもは誰がみるの?と。だからこそ夫婦が交代でみれる態勢づくりが必要で、男性の家庭進出が不可欠となり、そのきっかけが「男性の育休」ということなんです。


こうした男女の所得格差是正と男性の家事育児奨励をセットで求める議論の基本的なロジックはこうだ。

まず、男女の間に本来的な能力差はない。

ところが、現状では、高所得の労働を男性が独占しており、反面、家庭内の労働である家事育児は女性に押しつけられている。

女性にも労働生産性の高い、優秀な稼得能力をもった人もいるのだから、こうした男女の性役割分業が固定化していることは、社会全体で見ても最適配分(経済学的には「パレート非効率」と言われる)になっていない。

このため、女性の社会進出をエンパワメントするとともに、その分、家庭における家事育児を男性も分担し、「家庭進出」をはかるべきだ。

最も理想的なかたちは、男女に能力差はないのだから、平均所得は男女がほぼイコールになるべきだし、家事育児分担も綺麗に折半されるべきだ。

男女の格差がいまだ残っていることを表すのが、あの「ジェンダーギャップ指数」であって、日本は非常に低位に置かれている。もっともっと、女性をエンパワメントして、男女の格差をなくすべきだ。

……と、こういう感じだろう。

ところが、このリベラル・フェミニズム的な男女平等論に対して、意外な方向性から疑義が投げかけられているのである。女性当事者である。しかも、どちからといえば、フェミニズムに対してシンパシーのある女性当事者だ。

彼女の声を聞いてみよう。

ひより氏は、いきなりバッサリ、男女格差是正が婚姻率を高めるであろうという、「男女格差がなくなれば出生率が上がる」論の大前提を切り捨ててしまう。

理由は簡単で、低所得の男性は、家事育児やケア労働等の能力も低く、高所得の女性が彼らを養う理由はないからだ……という話だ。

なんだろう。女性版・白饅頭かな?

さらに、この前段では、こんな身も蓋もないことを言ってのけているのである。

すごいこと言うなこの人……。

ジェンダーフリーとかなんとか、そういう建前論をぶっ飛ばして、本音の部分をガリガリと書き込んでおり、個人的には、ここまで行くと好感が持てるレベルだ。

そして、驚くべきことに、この「ジェンダーフリーくそ食らえ理論」は、多くのフェミニストアカウントからの「いいね」がついているのだ。

これが示唆することは、おそらく、現代の女性の生活実感に寄り添ったフェミニズムにとって、「ジェンダーフリー」は不要である。

そればかりではなく、邪魔ものにさえなりつつあるのだろう。

なぜそうなっているのか、論点整理をしていこう。このひより氏の論には、重要な論点が二つ含まれている。

第一は、男女の性差を、本質的なものとして捉えていることだ。

どういうことか。

ジェンダーフリーの主流派理論に従えば、男女の性差のほとんど全ては作られたもの=ジェンダー(社会的性差)なのであって、社会的な偏見や差別がなくなれば、いずれ消滅するだろうものだ。

アファーマティブアクションが合理化されるのは、目に見えている差がジェンダーであり、適切な政策があれば男女は平等であるという前提に基づいている。

それゆえ、主流派フェミニスト=ジェンダーフリー論者は、政治・科学・労働といった男性優位とされてきた分野において、女性が男性と同じぐらいの能力を発揮できるということを強調するばかりではなく、

いわゆる「母性という神話」や「三歳児神話」などに代表されるように、家事・育児・ケア労働といった女性優位の分野においても、本来は男女に差異はないということを主張してきたのである。

ところが、そうしたジェンダーフリーの前提を、ひより氏は断固却下する。

それは徹底しており、「男女賃金格差解消」、つまりジェンダーが限りなく解消された社会においてすら、女性はケア労働その他の労働において、優越するだろうと予見するのである。

これは、男性の社会的地位の優越を主張する「封建的男女観」を、逆向きに照射したにすぎない。

このような「女性優位」の男女観からは、必然的に第二の論点が浮き上がってくる。

つまり、男女賃金格差是正後、つまり収入において男女が対等になった社会においては、収入でもケア労働等の能力でも劣った一群の男性、つまり「弱者男性」が生まれるということだ。

ひより氏の理論に基づけば、逆の弱者女性は存在しないか、もしくは相対的に非常に少数であるということになるだろう。

なぜなら、収入は男女でイコールの社会が作れたとしても、ケア労働等においては依然として女性が優位だからだ。

では、このような人々をいかにして包摂するのか。

ひより氏は次のように述べている。

要するに、自分に関わることなく生きて死んでいけ、どうにもならない個体は社会福祉がなんとかしろ……と、こう言うのだ。

まるでゴミを丸めて捨てるように、社会福祉というゴミ箱へポンと投げ入れる。

これが令和最新のフェミニズムとは恐れ入る。

だが、これが多くの女性、ことにフェミニズムという曲がりなりにも人権思想を学んだ女性たちから熱烈に支持されているという現実は直視せねばなるまい。

さて。

論点整理はこれぐらいにして、解決として取り得る選択肢、つまり維持可能な社会モデルはどのようなものが考えられるだろうか。

ひより氏の見立てが正しく、女性はケア労働等の分野において本質的に優位であることを前提として、考えてみよう。

第一の道は、ひより氏が提案するように、ケア労働において優れた女性たちに迷惑をかけないよう、弱者男性を「福祉」に預けてしまう社会だ。

縁戚や地域ネットワークといったインフラは、少子高齢化の社会の中で衰微していくことは明らかで、到底、担い手になるとは思えない。また、企業等の労働で弱者男性を特別に包摂しようとするならば、それはホモソーシャル的とのフェミニズムからの批判は免れ得まい。

また、社会を維持するための出生率を維持するためには、収入とケア労働を併せ持ったパワーカップルたちにたくさんの子どもを出産してもらわなければならない。

もちろん、出生率を維持するために、強者男性と女性の間の婚外子を法的・経済的に手厚く保護するという方法もあるだろう(いわゆる北欧モデルはそうした複婚的な社会となりつつある)。

しかし、そうした社会において、弱者男性を包摂するだけの福祉的財源はどこから出るのだろうか? 社会的リソースには限りがある。出生率を確保するために、子どもを産める女性と強者男性にリソースを転移するならば、結局、弱者男性は犠牲になるしかないのではないだろうか?

地域ネットワークからも、経済的にも、そして尊厳ある生からも疎外された弱者男性が、黙って消えていくことを願うのがフェミニズムだというのであれば。

少なくともその要請に、弱者男性たちが従わなければならない倫理的理由は存在しないように思われる。

第二の道は、男女の性役割分業を再評価し、男は仕事、女は家事・育児といった社会的なバイアスを復活させるという方向性だ。

もし、女性が男性とまったく同じように働けるだけの潜在能力を有しているとしても、家事・育児やケア労働といった分野において、相対的に男性より優れているのであれば、そうした分野で能力を発揮してもらう方が、全体最適になる可能性は十分にある。

国際貿易における「比較優位」の考え方だ。

もちろん、なにも、かつての封建的な社会のように、女性を家庭に押し込めて、政治や経済における全役割を男性が担う必要はない。

優秀な女性が社会進出することを無理には妨げないが、全体として見たときに、収入面では男性が優位で、家庭内の労働は女性が担うという、男女の役割分担が自然とできあがるような社会にしていく。

男性は女性よりも強度の労働を担い、経済的役割を果たすことに努め、そのぶん、女性は、ひより氏が言う「他の労働(家事・育児・ケア労働等)」を男性よりも多めに担う。

男女差が存在しているのであれば、性役割分業は、実際には資源の最適配分となりうるのである。

さて、第三の道、もっとも楽観的で政治的に正しい道を言おう。

もちろんそれは、ひより氏の主張が根本的に間違っている、と考えることだ。男女は根本的に平等な存在であると考え、ジェンダーフリーに邁進する道だ。

ひより氏のような「男女差別主義者」をハラスメントであるとして徹底的に糾弾し、

男性が家事・育児やケア労働で劣っているなどという断定は、時代遅れのものであると全力で嘲笑し、

こんなヘイトスピーチを許してはならない!! と炎上させてしまう道である。

ひより氏の主張が男女逆であれば、それこそ頑固昭和オヤジの妄想以外のなにものでもないだろう。

政治や科学、経済や社会の指導を行うような立場に、女性は向いていないし、無能力であると断ずる人がいたとしたら、政治的に正しくない愚か者として、口をきわめて罵られるに違いない。

ならば、男女を入れ替えても、男女差別にほかならないのだから、差別を許さないみなさんは、しっかりとひより氏を批判するべきではないのか。

フェミニズム研究者のみなさんは、トランスジェンダリズム周りの論争でお忙しいのかも知れないが、

まさにジェンダーを温存するような言説が、フェミニズムを普段支持する人々の口からまろびでる現状をこそ、憂うべきだろう。

本当にジェンダーフリーこそが正しく、ジェンダーギャップの是正を社会正義と信じるのであれば、今こそ、研ぎ澄ましたフェミニズムを振るい、時代遅れの男女差別主義者であるひより氏と、それにファボを入れる愚か者たちをメッタ斬りにするべきではないのか。

まさか女性様の生活実感にもの申すなどとは恐れ多い、と萎縮しているわけではありませんよね。

まさかね。

私は令和最新のフェミニズムの正しさを心から信じています(棒)

以上

青識亜論


■参考文献

というか、このひより氏の一連の発言、完全にこの白饅頭noteの「答え合わせ」やん……ってなってしまいました。