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「春陽会誕生100年 それぞれの闘い」栃木県立美術館 dokug(ur)a論的美術論 第五回

飽きっぽく忘れっぽい蝉倦俊歩(せみあきしゅんぽ)が、美術に直面したことを思い出すためのエッセイ。

「春陽会誕生100年 それぞれの闘い」栃木県立美術館


開催期間:2024年1月13日(土)~3月3日(日)

https://www.art.pref.tochigi.lg.jp/exhibition/t240113/index.html

会場までの道(飛ばしてもよい雑感)

仕事の関係で栃木県に行くことになったので、せっかくだから美術館に行こうと思い立つ。調べた結果、栃木県立美術館が行きやすそうだったので来訪することに決める。

14時少し前に美術館周辺まで到着するも、カーナビは私を建物の裏側に導いてくれたので、道をぐるっと回って美術館の入り口に到着。入り口付近の駐車場は少し狭いが混んでいる様子はない。
美術館はガラス張りで横に長い構造の建物で、どことなく大型の道の駅に似ているように感じた。

駐車した場所から近い方の入り口に向かう。道の途中にふくろうの像があってかわいらしい。地下にミュージアムショップやレストランがあるとの表記があった。
道の突き当りにある建物の入り口を入ると、こちら側は企画展側の入り口のようだった。

「春陽会誕生100年 それぞれの闘い」

企画展は1922年に発足した春陽会に関係する画家の絵を展示しているというものだった。
出品作品リストを手に取るとA4用紙2枚分にびっしりと作品名が並んでおり入場前から圧倒される。これが公(おおやけ)の力か……。
全く知識のない過去の作品がこんなにたくさんあっても楽しめるだろうかと不安になるも、結果としては思っていた以上に楽しむことができた。色々な作風の人がいたからだろう。
気になった作者・作品をいくつかあげる。

・岸田劉生
「麗子弾絃図」はさすがの私も見たことがあった。他の絵も写実的だったり、カリカチュアのような誇張された人や動物の絵がかわいらしくひょうきんだったり、人気がある画家なのが私にもわかるような気がした。

・大澤鉦一郎
「少女海水浴」はカラフルな水着、色んな形のかわいらしい水泳帽を身に着けた少女がキャンバス一杯に描かれた作品。1932年の活き活きとした一日が切り取られたような作品でよかった。

・鬼頭甕二郎
「風景」(1925年)。一つ一つの色を四角く置いていくような絵の描き方がおもしろい。ピントの少しずれた写真のよう。

・鳥海青児
「信州の畠(一)」「水田」という作品があったが、どちらも茶色と黒の絵の具でキャンバス一面に波のようなものを描いた作品で、タイトルを言われてもピンとこないし、二つの絵に違いはあるようだが難しいが、絵としてのインパクトはあった。

・駒井哲郎
「夢の推移」、「時間の玩具」はチョコレートのお菓子のようでかわいらしい。

・深沢幸雄
「愛憎」「生(2)」どちらも1960年の作品とのこと。
抽象画だが、はっきりとした線。顕微鏡で覗いた細胞のような絵。

常設展「令和5年度第4期コレクション展示」

常設展も併せて鑑賞したが、表現の多様さに驚かされた。

・飯田義国
「クロマトポイエマ No18」「クロマトポイエマNo12」(1972年)
カラフルな路線図のような作品でシンプルだけれど目を引く。

・渡辺豊重
「ピクニック」シリーズ(1980年、1984年)
限られたモチーフだけで絵を描くという試み。緑の背景に枕の化け物のようなものが描かれているのがかわいかった。

・豊島弘尚
「例えばひねこびて嘲笑いの頭部」(1964年)
遠目にみると人体の断面図のような絵だが、部分部分は歯のようでもあり、お尻のようにも見える。
細部をよく見ると「青」「神」「気」「卍」などの漢字、「YOU」と読むことのできそうな文字が至る所に横並びで描かれている。
なんとなく80年代~90年代の文化的な雰囲気を感じるのに1964年に作られているのに驚く。

・元永定正
「はに、はに」(1978年)
わらっている雲のようなシンプルでかわいらしい絵。

・デイヴィッド・ナッシュ
「テーブルと椅子」(1984年)
巨人のためのテーブルのような木組みの真ん中に、葉の枯れ落ちた木がまるまる差し込まれているような構造物。
ぱっと見では簡素で地味な印象だが、木をよくよく観察すると、木の枝の一部から椅子が生えている!
(枯れ木の枝の一部を使用して椅子が構成されており、枝から椅子が生えているようになっているのだ。)
タイトルの意味に気付いた瞬間が面白かった・

日の終わり

県立の美術館は建物が広く、かつ、展示物が多く、一つ一つ鑑賞するのが大変だということがよく分かった。感想もどことなくまとまりのないものになってしまった。

ただ、たくさんの展示があることで、歴史の中で色んな表現方法が試みられてきたのだということを直接感じることができた。生きている芸術家は膨大な歴史に立ち向かわなければならず大変だろうと思う。

また、美術の楽しみ方の一つは観察と発見にあるのかもしれないと思った。作者と鑑賞者の、作品を媒介した一方的な対話の体験と言えるかもしれない。

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