悟りに至る7つのステップ②
今回から仏教の修行とそこでの経験について本格的にお話ししていくことになります。そこで一点だけ注意していただきたいことがあります。これはあくまで私一個人の経験であって全ての人が同じような経験をする必要はないということです。あくまでモデルケースとかサンプルの一つとしてみていただきたいんですね。というのも、このような経験を書くとどうしても「それを経験してみたい」というような願望が生まれてしまう可能性があるんです。でもそのような願望を持って修行してもなかなかうまくいきません。進み方は本当に人によって千差万別でそこで経験されること、思うこと、感じることも違うはずです。
だから実践的にはただひたすら余計なことを考えずに、自分の修行をやり続けるというのが望ましいのです。
ステップ2 心の清浄 統一された静寂の境地を目指す
以前少し書きましたが、仏教の実践は非常にシンプルです。
感覚に注意する、思考は止める。これだけです。
こんなことで悟れるのかと思うかもしれませんが悟れるのです。ただしどれだけやるかを書いて居ませんでした。可能ならば
24時間365日ずっとです。
あらゆる行動あらゆる認知活動に伴う感覚に注意を保ち続けます。最初はとても大変です。そもそも一つのことに注意し続けること自体長い時間できることではありません。しかし繰り返しやっていくうちにそれほど苦労することなく注意が保てるようになります。するとどんなことが起きてくるでしょうか。
心の落ち着きの目安①喜悦感
注意を保ち心が落ち着いてくるとどんなことが起こるか。これは不思議なのですが、まず喜悦感が生まれます。この喜悦感は強力で体の痛みや疲労を感じさせなくするほどです。
私がこれを感じたのは修行を始めて2週間ほど経った頃でした。ある時歩きつつ足の裏の感覚に注意を向けていると急に心の奥底から喜びが溢れてきたのです。当時は腰痛があって体もボロボロだったのですが、そういった痛みを感じなくなるぐらい体が軽くなり修行が楽しくなりました。
この喜悦感は休憩するととだんだん落ち着いてくるのですが、また始めて集中力が高まるとあらわれます。しかし思い返してみるとこの時は浮かれて居ました。色々な人に仏教の実践を進めては煙たがられて居ました。
心の落ち着きの目安②安楽感
強烈な喜悦感も何度も経験するうちにだんだん慣れてきます。すると今度は喜びというよりも楽しみ、とか安堵感といったような緩やかな感覚に変わっていきます。喜悦感があらわれていた時は楽しいは楽しいのですが、心はうわついてソワソワして居ました。でもこの安楽の心は静かで落ち着いた感じがあるのです。
この状態に移行するまでどれくらいかかったか正確には覚えて居ないのですが、たしか2、3日程度だったかと思います。ただ時々また強く喜悦感が表れてくることもありました。
心の落ち着きの目安③無感情
さらに修行を続けるとどうなるでしょうか。楽しさや安堵感といった穏やかな感覚からさらに落ち着いていきます。落ち着きすぎてまるで感情がないかのように感じられてきます。心にさざなみ一つないまさに「明鏡止水」といった静寂の境地になります。
私がこの状態になったのは修行を始めて一月ほど経った時でした。外で歩く瞑想をして居たのですが、ふと足の感覚から心の状態に注意を向けてみると、今まで経験したことのないほど静かだったのです。静かというよりもピーンと何かが張り詰めたような、統一感というか緊張感をともなった静寂が訪れていました。
このような心の統一、静寂は仏教の達成、境地のように語られることがあります。それは間違ってはいないのですが、この静寂には落とし穴があるのです。
結論から言うと私の修行はここでしばらく停滞しました。
次回はそのような修行者が直面する困難や奇妙な経験について書いていきたいと思います。
読んでいただきありがとうございました。
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