倍速批評Ver0.3 秒速10センチメートル

まず、正直に申し上げて、どうでも良い。

私は性格が悪いので「架空の彼氏彼女にいろいろ言われる恋愛診断」が流行っていたことを覚えていますよ。その時に、「秒速5センチメートル」や「おやすみプンプン」が人気な理由を了解しました。それらの作品は自分語りを誘発する魔力がある。

「新海誠好きの元彼」と人間の一側面で括ってラベリングするのは失礼らしい。そうなんですね。「元彼」とだけ言っても、対象との関係性の一側面しか切り出せてないような気がするが、例えば元彼についてのエピソードを集めた同人誌は炎上するのだろうか。そもそも人間の全体を表すことなんて、自身でも不可能だし、グラデーションの問題でしかないのでは?これは詭弁でしょうか?私には分かりません。逆に部分が全体を言い当てることもあると考えられます。あと、同人誌で金を稼ぐなみたいな風潮が醸成されると「批評」に未来は無い気がするのですが、どうですか?

「新海誠好きの元彼」あるあるを作りたかった。しかし、集まったのは異なる人間、異なる体験だった。そのような同人誌なら読みたいと思いました。三宅氏が「受容史」という言葉を用いられていて、そう期待できるなと。

桜の花の落ちるスピードは普遍的に秒速5センチなのだろうか?きっと、私の前では秒速10センチだろう。まあ、自分語りも結構でしょう。私は批評に、やや、それを求めている節もある。

名指しはしないが、新海誠好きの男性が新海誠について語り出したのは、いかがなものだろうか。今まで語られてなかったことが、語られようとし、結局は語られなかった。その炎上に便乗して、今まで通りの語りが繰り返される。

なにか自分語りを許されている人間と、許されていない人間がいるように思えるのは私だけか?まあ、最初に申し上げた通り、なんでも良い。

視聴環境の多様性に注目する「倍速批評」では今後、「自分語り」についても検討していきたい。

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