都合のいい人になれるということ

都合のいい人って聞いて、みなさんが思い浮かぶのはどんなことでしょうか。優しい人、流されやすい人、利用されている人。色々なイメージがありますよね。自分もなりたいわけじゃないのに都合のいい人になってる気がする…っていう人もいるかもしれません。

私は学生時代に母から「あんたって本当に都合のいい人だよね」って何回も言われていました。

大学時代に一番一緒に遊ぶ頻度の高かった友人がいたのですが、計画性がないタイプで物事をどストレートに言うタイプでちょっと無理な予定をぶちこんできたり、約束をドタキャンしたり(大体の理由は起きれなかったからというシンプルな理由です)というのがよくありました。
私の誕生日を忘れていて、私の誕生日に彼氏の誕生日プレゼントを選ぶのに付き合ってと言ってたこともありました(別れ際に思い出したようでしたが笑)。私も後でもやもやするなら、始めから言えよっていう、ね。そういうの言わない人だったんです。昔は。
多分、母はそういうのを許してその友人との関係性を保ち続ける私のことを不思議に思っていたのだと思います。

私もその時は自分が大事にされていないように感じて悲しくなったり、良いように利用されているのかなって思ったりしていました。そもそも私の交友関係というのは、この友人以外においても、私が友達の都合や性格に合わせることで成り立っていたことが多かった気がします(正直母との関係性もそうです)。私も自分が多少窮屈な性格をしていたせいか、良くも悪くも自由で自分の気持ちを優先できる友人に憧れてそういう友人と好んで一緒にいたのでしょう。

心のどこかで自分はこんなに友人を大切にしているのに、友人にとって私はそうじゃないんだな、こんなに適当に扱われてるような気持ちになるのに何でいつも大丈夫って言っちゃうんだろうと考えて一人で泣いたことも何度もあります。

でも、今は都合のいい(ように他人に見える)人になることって誰にでもできることじゃないし、そうできる自分が少し好きです。何故かというと馬鹿で偽善者っぽいタイプという自分の認識から、見返りをあまり求めずに、自分が多少傷ついても最終的には人を許せて愛せるタイプってことだと自分の認識が変えたからだと思います(許すっていうのは立場的にその人の上というわけではなくて、この場合は遅刻とかちょっとした強い言葉とか傷つく言葉とかを言う行動に対して)。
そしてこのおかげで色々なタイプの人と友達でいられるから楽しいのかもとも思ってきました。

後は本当に無理って思うことと、本当に悲しいって思うことだけはちゃんと伝えることにしたのも大きかったと思います。

前述した大学時代の友人ですが、私より2年遅れて(薬学部だったので私より2年遅く卒業でした)大学卒業後、地元から離れた関東に就職しました。

別れ際、最後に会えないかと言われて会うことにしたのですが、「○○はやるっていっていつもやらないよね。現状を変えようとしないよね。外国行きたいって言ったって行かないでしょ。仕事辞めたいって言ったって辞めないでしょ。△△(共通の友人)はそれに比べて仕事辞めたりアクションちゃんと起こすから話聞く意味あるって思うんだよね。だから○○の話は聞くの。」というようなことを言われてだいぶショックだったのを覚えています。

これはその前に後輩を含めて3人で会ったときに、「無理してでも誰かと付き合ってみた方がいい」と2人に言われたことに対して、私が自分はそうは思わないといったことの続きでもあったのですが(ちなみにその後輩は彼女がいるのに私に告白してきたことがある人でした。この友人はそれを知りませんでしたが、その後輩が上記のように言ってきたのも、私にはちょっと意味が分からなかったのも「誰でもいいから付き合っている」と言いたくなかったというのも少しあります)。

この後、私は地元に就職していたので遊ぶ頻度は激減しました。
私が関東に行くときに連絡しても彼女が忙しく予定は合わず、彼女が帰ってきたときは誰かと会う隙間時間とかに会えないかといった連絡が来たりしましたが、私も看護師でシフト制で働いていたのでなかなか予定が合いませんでした。
そして頻繁に会っているわけでもないのに、予定と予定の隙間時間とか誰かと会うついでに誘うという彼女の誘い方にもなんだか悲しくなったりしていました。

そしてしばらくして彼女の結婚式に招待されました。私は正直、最近合っても連絡してもいないし、参加しても心から喜べるのだろうか、という気持ちが強くあり参加を迷っていました。
参加するのやめようと思ったときに、彼女が大学時代にプレゼントしてくれた手作りのアルバムを見つけました。そして最後のページの彼女からのコメントを見たらなんとなく参加しなかったら後悔しそうな気がしました。仲良かった時間も確かにあったなって思って。
散々迷って、迷っていることを彼女に理由とともに伝えてみました。これで心ない言葉が来たら参加するのはやめようと思っていました。

でも、「私も同じような理由で友人の結婚式に参加しなかったことがあるから気持ちはわかる。本当に嫌だったら無理にとは言わないけど、来てほしいと思ったから招待してるし、来てくれたらすごく嬉しい。」と返ってきました。

結局、結婚式に参加しました。彼女は確かにストレートにものを言うから傷つくこともあるし(実際に彼女の他の友人がそれに耐えられず、彼女は割と仲の良い友人と決別したことも大学時代多々あった)、私が思う人を大切にする方法とは違う方法を彼女はとることもあるので、よくわからないこともいまだにあります。

でも、帝王切開後で出産したその日のうちに私に何故か連絡してきたり、普段明るいのに唐突に私に深刻に悩みを相談してきたりしたときに彼女の信頼というものを感じたり。
外国に住むっていうときに突然空港まで見送りにきてくれたときには、彼女の計算を含めていない(なんなら相手の都合より自分の気持ちが勝つ)ちょっと不思議な行動ときどき嬉しかったり(私が即席で準備した手紙は即座になくされました)。

そういう彼女と高校時代からずっと友達で入れるのは、ある意味私が都合の良い人でいることができたからで、結果私も嬉しくなることもあるのだなと。

そんな彼女は私が外国にいても、ときどきLINE電話を唐突にくれます。しかも時間があるわけでもない夕飯を作ってる途中とかに。そして、話しながら子どもとご飯を食べ始めたりします。なんか不思議だけど、私の都合を考えずに突っ込んできてくれるところも、今はなんだか大好きです。

母にとって私は都合よく扱われている可哀そうな人間なのかもしれませんが、無理のない範囲で都合の良い人になることは私にとってはそんなに悪いことじゃないように今は思います。

考え方って変わるもんだなあ。

でも、今でもときどき人間関係で悲しくなるから、全部が全部いいわけでもないのかもしれませんけど。


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