リセットの必要性

人生を振り返ってみると私には定期的にいくつかのリセットタイムがあったと思う。リセットタイムといっても全てを初期に戻すわけではない。私の場合、小学校での転校、高校入学、大学受験、看護実習、部署移動からの休職、日本以外の場所への長期滞在(今)と3~4年おきくらいに何かしらの大きな転換、もといリセットがあった。

まあ、学生に関して言えば進学のタイミングというのはだれにとってもある程度大きな変化だろうし、社会人で言えば転職や転勤、部署移動はだれにでも起こりうる大きな変化といえるだろう。

でも、私にとってこれらの変化はリセットと置き換えられる。これらのタイミングで「ああ、私はやっぱり全然強くなんてなかった。前より強くなれた、成長できたって錯覚していただけだった。」と思い直した。この変化によってポジティブ思考になったことはなく、必ずネガティブ思考に一旦戻されるのだ。

小学校での転校→いじめ。高校入学→進学校への進学で自分の学力がさほど高くない現実を知る。大学受験→受験勉強を真面目にしても周囲の友人より全然点がとれず、志望校のレベルを落とす。看護実習→志望校を下げたのに、人と比べて要領の悪さとレジリエンスの低さを思い知る。部署移動→半分無視してくる同僚とその周囲の雰囲気で仕事がしにくく、休職せざるを得なくなる。日本以外の国への滞在→マックレベルのバイトの面接すら得られない今の現状。

いくらポジティブになれたかも?周りに左右されずに生きれるようになった気がする!と思っても、ある一定の困難によってそれが元のネガティブレベルまで戻されてしまうのだ。

でも、これは決して悪いことだけではないと思う。一回成功して、その後も成功し続けた人はネガティブを良くないものだと思いがちだし、ネガティブだったころの自分を忘れて「やろうとしないからできないだけ」「ネガティブになる暇があれば行動する」といったようなことを言うようになりがちだと思う(全員ではない)。

一方で私はいつもある一定のポイントでネガティブになるおかげで、ネガティブなとき、元気がない時の気力のなさ、そしてそのときに気力を出すことがいかに大変なのかということを忘れずにいられる。そのおかげで、友達が辛い時に話をしようと思ってくれることも多いし、一通り話をした後、「お互いに明日から、またのんびり頑張ろうね」って言って友達が元気になったことで私も元気になれたりする。

もちろん、コスパとか効率とかで言えば成功者は切り捨てるようなことなのかもしれない。でも、定期的なネガティブにも意味はあるんだなと振り返ると思う。間のポジティブももちろん意味はある。その時を有効活用して現実的な部分での辻褄を合わせているのが私なんだと思う。

そして、今はネガティブでもまたいつかポジティブ期間に行けるかもと思うことが徐々に上手になってきてると思う。ネガティブベースの私でも、30年近く自分と付き合っていれば自分の性格にも慣れてくるのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?