恋愛と結婚とコスパ

なんとなく見ていたYOUTUBEで、「恋愛や結婚はコスパが悪い」みたいな話がされていて、コスパという発想が怖いっていう気持ちと考え方が自分と違いすぎて面白いなっていう気持ちが7対3くらいだった。愛を金銭的価値で考えるところが割り切り過ぎててちょっと怖いって思ったけど、結構これって周りの友達とかの話を聞いてても、ときどき同じような話(私が同じように感じる話?)を聞くときがあるなと思った。

漫画とか映画とか小説とか色々なもので理想的な恋愛や愛について考え、愛っていいなあと思う一方で、デートや共同生活にかかる費用とか労力、気力や時間を考慮すると面倒だし割に合わないからしなくていいやって思うという感じもあるということなのかな。

私は恋愛・結婚推進派では決してないし、人間関係は相手があってのことだから、自分だけ頑張ってもどうしようもないことであることも分かってる。仕事にやりがいがあって一生仕事に打ち込んでる人も幸せだと思うし、実家でほのぼの適度に仕事して適度に趣味をして家族と仲良く過ごすのも幸せだと思う。結婚しなくたって、色々な方法で友達とか関わる人たちを幸せにすることだってできるし、それで自分も幸せになるだろうし、むしろパートナーがいなければたくさんの人に時間を割ける可能性も高いだろうし、それも素敵な生き方だと思う。

数年前まで私も一人の人生と誰かと人生を過ごす人生のパターンをどっちも考えていた。最終的には一人より二人のほうが私にとっては楽しいし、自分は自分が思っていたよりも価値観が合う人であれば一人の時間がなくても大丈夫で、案外孤独が苦手なことに気付いて今に至るけど。

でも、コスパっていう考え方が個人的には怖い。利己主義と直接的につながってる感じが。

恋愛と結婚もコスパで考えるなら、全ての人間関係をコスパで考えてるのかな。自分に有益な人(面白い話をしてくれる、新しい知見を与えてくれる、純粋に利益を与えてくれる等)とだけ関わるってことなのかな。

そう考えるとなんだかすごく複雑な気持ちになる。

周りの友達からも、「マッチングアプリは恋人としてはナシでもご飯おごってもらえるから楽しいよ。」とか「今5人くらいとデートしてて、年収○○の弁護士と、年収△△の先生と…」みたいな話を聞いたことが1度どころではなく何回もある。これは自分にとってコスパが良ければ恋愛とか結婚を検討できるということなのかな。これは愛なのだろうか、ビジネスなのだろうか…(書いててマッチングアプリについても色々思うことがあったので、いつか書こうと思った)

もちろん、確かに結婚に際して経済状況が全く関係ないかと言われれば、関係はあると思う。特に子どもを育てていくとなれば、最低限生活していける資金は確保できるに越したことはない。

頭では分かっていることだけど、なんとなく自分は愛に対して理想が高いのか、自分としてはその考え方を恋愛の優先順位として上位にあげるのは無理だと思ってしまう。というか、相手が逆にそういう風に考えていたら、悲しくなっちゃうタイプだと思うので自分も極力したくないっていうのが、多分根本にある(そして正直、母が結婚するなら高収入・安定した職の人としなさいと幼少期から繰り返し言われていたことへの反発も多分にきっとある)。

そして、そのコスパを考えながら、さらに映画や小説のような美しい恋愛がしたいという矛盾がなんとなく「え?」って思っちゃう。だって、映画や恋愛(とくに純愛系)では、本人に直接でないにしても、友達に「コスパいいから付き合おう」みたいなセリフ言うことないよね。

何が言いたいのか分からなくなってきた。

もしかしたら、コスパという言葉が嫌なだけというのもあるのかもしれない。もっと具体的に、「私は将来子どもが5人欲しくて、そのためにはそれなりの経済力を持っている人と結婚がしたくて、そういう人がいい…」

…やっぱり具体的に言っても何か違和感がある…。

多分私にとっての「愛」はプライス・レスなもので、コスパが悪くても一緒にいたいって思えるものなのかもしれない。もっといえば、人間である以上、利己主義を完全に消すことはできないけど、せめてその人との関係性だけは利己主義ではなくいられるような。何なら一緒に過ごすためにときに傷つきながらも努力した結果、最初はコスパ悪くても徐々にお互い頑張れるようになるような…価値観違う部分も含めて認め合えるようになるような。
(ミスチルの「掌」を高校時代にたくさん聴いてたのを思い出した。)

別に豪華なインスタ映えするような生活がしたいとか、大きな庭付きの家に住みたいとかそういうのはずっとなかった。友達に褒められるような恋人がほしいというのもなかった。お金持ちだったら+αで嬉しいと思う可能性はあるけど、私にとってはメインの理由じゃなかった。

でも、世の中のルッキズムやコスパ重視の風潮や自分と違う価値観をもつ親や友人に恋人を傷つけられたらその人たちを嫌いになってしまいそうという気持ちになったことはある。そしてそれは皆が激推しするような恋人だったら必要のない懸念なのかもとは思ったことはある。こういうのも「コスパの悪い」恋愛のしにくさになってるのかな。

まとまりが悪い文章になってしまった。

でも、コスパで考えたら、正直人生自体コスパが悪いように思えてしまう。生きているだけでお金がかかるんだもん。人生に決まった意味なんてないように思うし。でもさ、「人生はコスパ悪い」なんて大々的にいう人は多くはないでしょ。「人生」はプライス・レスでしょ。大それた意味なんてなくても、日々を繰り返して、嬉しかったり楽しかったりすることがあればそれでいいわけだ。

だったら、人生の一部なんて全部プライス・レスなのではないかと思ったり。最低限の生活の保障以上のコスパを追い求めることに意味はあるのかと考えてしまった。お金あれば安心だけど、死んだらお金使えないしね。

とか言って、数年後、私自身が正反対のことを言わない保証はないけど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?