境目や、今後の時代について

ただ、聞いて学んだコトを書きます。自分の中でまだ分かっていないけど、大切なコトだと思うので忘れぬうちに。あ、諸君、音山だ。

武という漢字は戈と止の合字らしい。ほこを止める、と書いて武。すなわち刀で言うところの無刀たるモノはそういうコトを表しているのかもしれない。

ってのは置いといて、「人間」という字。人の間、間の人。コレが何を意味しているのか、自分の中で一つの答えが出た。それは「生と死の間」である。こわ。色々なモノに存在する境目、例えば空と海。空海はそれを元に名前ができたらしい。大空だけではそこに境目は存在しないし、海があるからこそ、初めて境界線が生まれる。その境界線にはエネルギーが存在する。反発、なのかな?この世も同じ、生と死の間に境界線があってその間に僕らは存在している。というかその境界線こそが本当の自分なのかもしれない。だから、生と死という分かれた世界を見るコトができているのでは?みたいな感じ。自分=自ら分かれる=水から分かれる。自分がエネルギーそのものなのかもね。


音楽において音域や周波数はとても深い関わりがあるのだけれども、例えばラップ音であったり霊の声なんてのはとても低い周波数と言われてたりする。おそらく音楽なんかよりずっと低いトコね。で、その反対とっても上の周波数こそが「宇宙人」なんかを表してるのではないかと、思う。それが今後の時代であると考える。言わば霊なんかは古い。(笑) けれど、馬鹿にしてるワケではない。昔の時代からずっと「霊」というモノがあったからこそ「宇宙」があって、それを僕らは認識するコトができる。女性は男がいるから自分を「女」と認識しているし、男性は女がいるからこそ自分を「男」と認識している。両者がいるから素晴らしいのだと思う。さて、それが意味するモノとは何かというと、「自ら動く、自分が主体」と言う時代がやってきているというコト。だと思ったりしている。確かに昨今の時代はメディアが発達して、かつてより女性は夢を追いかけ、若者はやりたいコトを探すようになった。まあ個人的にスマホのせいで薄っぺらくなっている部分があるんだけれども、それはまた後で書きます。低音域というのは、霊のコトは一旦分からないけれども音楽においては「支えるモノ」だ。陰ながら支えてくれているモノ。ベースとかね。一方で上の音域は「主旋律」を表す。リードギターやらシンセサイザーやら歌もね。その一説によると「宇宙人」の時代が来るというコトは音域でいうトコロのさらに上の部分。主旋律と兼ね合わせて考えると「自分が主旋律、すなわち主体となって生きていく」みたいなコトかなあ、と。そう考えてみました。もちろん低音域がいなくなるワケじゃないよ。それもしっかり大切な仲間ですが。時代は変わっていくのだろうねえ。。。最近流行っている音楽ってどれも、低音域よりか上で鳴っているピアノリフとか、それこそ歌自体とか、既に人間はそっちを楽しむようになっている。音楽業界では低音域はとても大切だし、僕も曲を作って沢山の人と制作していく上で、どちらかといえばそのボトムスを大切にせざるを得ないんだろうけど、次第に時代も変わっていくのだろうな、と思います。ちなみに自慢じゃないけどpachaeはそもそもそういうコンセプトで僕は曲を作ってます。難しいピアノリフやカラフルなギターのフレーズが、難しいメロディラインの歌が、pachaeらしさを作ってるし、音楽のコトなんて何も知らないリスナーさん達はpachaeはもちろんのコト、どんなアーティスト聞いてもベースとか聞いてないしね。ちなみに僕はベース大好きですし、pachaeにおいてもちゃんと作ってるよ。

ザ・ワールド。コレ人間は使えると思うんですよね。というか既に使ってる。今日僕は昼間何もするコトがなくて、近所を散歩して本屋で気に入ってる漫画を買って帰った。帰りに誰もいない静かな公園のベンチで漫画を読んでたんだけれども、その時何と無く「時間」が止まってた気がするんよね。僕という実態は時間の流れるこちらの世界に存在しているので、現実で時計は勿論のコト進んでる。けれどもう一つの「時間のない世界」にいる自分に意識はシフトしていた。はず。どちらの世界にも自分はいて、意識だけが時間の止まっている世界の自分にアクセスしていた、そんな状態でした。ちなみに物理の世界では「時間のない世界」は既に見つかっているそうな。コレからの時代は、まず両者の世界を認識してその後、それを上から見下ろしている自分に気づく時代。気づくというかそこにいるのかな。止まっている自分と進んでいる自分を上から第三者のように覗き込んでいる感じ。そしてそういうモノを覗き込んでいる状態って「無我」らしい。我がそこにいない。夢中ってそういうコトなのかもね。自分でも何を言っているのかよく分かりません。

ここまで読んだ人、変態ね。私アナタみたいな人、好きよ。とりあえず、取り留めもなく書きましたが、面倒臭くなってきたし、頭の中で整理もついていない。またおんなじようなコト書くかも。コレはただのメモです。最後にもう一つ書いておくと、人と人との間は全て「エネルギー」なのかもしれない。そしてエネルギー=情報なんだそうな。今日、地元の友人と飯に行ったんだけれども、行く前にLINEせずとも相手が「18時●●集合で」って言ってくるのが分かったんよね。だから最初友達に「インスタか他で既に俺にメッセージ送った?」って聞いた。そしたら、言うてないよ〜って言われて、俺は感じ取ってるんだなあと知る。人と人との間にあるその「エネルギー」を感じれるようになれば、そういう感覚が生まれるのかもね。そしてエネルギーを感じるために必要なコトの一つに「相手とぶつかる」ってのがあると僕は思います。みんな、喧嘩を避けすぎてる。相手とぶつかるからこそ、相手と自分に境界線があるコトを知り、その境界線にあるエネルギーを感じ、相手を深く知る、感じるコトができてる。だからぶつかり合っているバンドはカッコいいのかもね。難しいなあ。

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