自立したいと思ったらどうなるか

僕はここのところずっと考えて来た。この言い様の不快感は一体何なのだろうと。
とは言っても、四六時中という訳ではない。何か明確な答えがあると分かっている訳ではなかったので、ふと意識が戻って来た瞬間に、その不快感と再度出くわした瞬間にぼんやりと眺め続けて来たのである。
一体何の話かと言うと、「努力や根性」についてであり、「歴代上司と大谷翔平」についてである。
僕は今勤めている会社が3社目である。見る人から見れば完全な木偶の坊と言えよう(ある1方面においてはその通りである)。旧来の価値観から言えば、初めの会社でこつこつ出世し定年を迎えるのが普通であって、それから外れる人物は、良くも悪くも変わり者だからである。僕も全く同じ見解だと言えよう。ではどこから見解を違える事になるのか。
僕の仕えた歴代の上司は実に平凡ではあったが、実に優秀な人達であった(である)。世界に向けて今の日本が自慢出来るものと言ったらなんだろう。色々意見はあろうが、世界標準と比較し隠れ残業が突出している事から言って「真面目、勤勉、努力、根性」なのである。僕が「センス、才能」とでも言うと思ったろうか。「センス、才能」といったものはそんなにゴロゴロ転がっていないのであって、この点も大多数と見解を同じくするものだろう。
歴代の上司は皆漏れず「真面目、勤勉、努力、根性」を体現している、若しくは体現したいと思っている方々であった(である)。やはりこうでなくっては会社の中で出世して行けないのだ。これは、日本が世界の中でいまだ健全である事を表している。汚職やゴマすりがまだまだ幅を利かせていないのだろうから。
ただ、大谷翔平とは何かが違う気がする。勿論、才能の話をしているのではない。彼は「真面目、勤勉、努力、根性」によってある途方もない目標を達成しようとしているのだ。それに比べて僕はどうだ。「真面目、勤勉、努力、根性」によって“類稀な素晴らしい”要領書を現在作成しているのである!(何の話だと思った人は過去の日記を参照して欲しい)
別に、大谷翔平をやたらと持ち上げようという話ではない。彼は分かり易かったのだ。あまり深くは知らないが、身体が他より成長して行く事や周りより運動神経が発達している事は、別に彼でなくても容易に気付いたろうし、野球をやってみたら断然他より上手いと分かったろう。寧ろ、彼の素晴らしさは「真面目、勤勉、努力、根性」を突き詰めた点にある。
逆に我々は、その大谷的徹底性にばかり目が行ってそれに相応しい理想を持ち得ていないのだ。「会社がそんな理想を持ち得る筈がない」という声が聴こえて来そうだ。会社が二刀流を成し得たいと思う筈がないのは当たり前だが、別に、社会貢献がどうのと言わなくても良い。しかし、資本主義に身を置いているのだから「俺は世界で一番金儲けするぞ。その方法はなんだ?」という、徹底した意志と探究心、目標を達する為の想像力がもっとあっても良いのである。
理想が全く乏しい中で大谷的徹底性を追求するものだから(意味の乏しい)要領書を作成してしまうのである。作成するだけなら訳ないのだが、無闇に叱り飛ばされるとなると、思考し得ない奴隷を作り上げようとしているのか疑ってしまう。背景には「お前なんてこれやっとけば良いんだし、これしか出来ないだろう」といった人間に対する冷ややかな軽蔑があるのではないか。ある程度統率の取れた現場を作る事は大事だが、一応自分達は最低でも高校までは出ているんだからそれ相応の扱いと仕事がある筈だろう。但し、そういう仕事がしたいという人もいるのだから一概に反対論を唱えるのは間違えてもいるのだが。
「では転職、自立すべきではないか」と言われそうである。僕がその理想とやらを持っていたとしても独力で御まんまにありつくのは中々難しいのだ。だからこそ、卒業後大企業に入社したのだが、何だが僕がハマりそうな場所はないように感じた。奴隷としての居場所が提供されるだけである。図体がでかいだけで内は狭いったらありゃしない。それらしい色んな事を言ってても結局は皆んな同じ方向を向いているし、それに合わせて満足するしかないのであった。
「こいつはヒッピーになりたいんだろう」と思ったのだとしたら、それは間違いだ。本当なら一緒にやりたかった(別に会社を辞めるという話ではない。家庭内別居である)。出来ない障害を今回挙げ連ねてみた。但し全くの徒労だろう。これが、暗闇の中で一つ、ボーウっと灯る魂の如くの真理なんだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?