価値観の点検

ここ最近会社の上司の話ばかりになってしまい申し訳ないが、今日も上司を糸口に話を進めさせて頂こう。なにせ、僕は会社と家の往復が主の生活をしているので僕とは違った人物を語ろうと思うとどうしても彼等を引用しない訳にはいかないのだ。
僕の日記を読んで頂ければ分かる話だが、最近の会社のやり方には大変な不満を感じている。一応、あらかじめ言い訳じみた事を述べると、この会社は色々差っ引いたとしてもそれでもまだ十分に良い会社と言えよう。僕が、自身を物分かりの良い大人として演出しようとしているのだと思った人がいたとしたら、貴方の心は今曇っているのだろうからそれは自覚した方が身の為である。
こんな余計な警句を挿む必要は本来全く存在しないのであるが、引き金は昨日交わした会話であった。
「今度○○さんが定年退職になるらしいですね。支社から『○○さん(自分)、代わりに如何ですか?』と言われたんですけど…」
「○○さん(自分)は余程のヘマでもしでかしたのですか?使いものにならない人が行く部署ですよ?」
それは僕も薄々気付いていたのだが、
「給料がこれ以上減らないなら、(最近の、そして今後想定される騒動に巻き込まれるくらいなら)あっちも悪くないかなと思って…」
「○○さん(自分)は、今手取り幾らですか?」
「………(あれ?幾らだろう)給料明細をよく見てないので分かりません。」
「○○さん(自分)は、給料教えたくない派ですか?」
なんて事ない会話ではあるのだが、何だが陰謀を働く人物と思われている事が少し残念だった。暗に不満を匂わす事に代表されるが如くの僕の日頃の行いが影響しているのだろう。こればかりは、上司を責める訳にも行かない。ただ、なるべく正直に生きるに尽きると思った次第である。
話を戻すが、この会社、特に僕が今居る部署は恵まれた部署である。どう恵まれているのかと言うと、時間が、そう三次元座標軸には乗って来ないアイツが僕の手元には山の様に存在するのだ。普通の人は、空間を行ったり来たりした結果、ようやくお金の山にぶち当たって大喜びするのであるが、僕は軸の原点座標に静かに鎮座してその唯一無二の尊さに身を任せ且つその有り難みに感謝しているのである。田舎に行ってスローライフを送ろうという人とはまた一味違う。どちらかと言うとニートが欲しているものに近い。周りの同僚はその時間のありあまりぶりにいよいよ業を煮やし、副業を始めたりするのであるが、僕に言わせれば全く勿体無い話である。せっかく与えられた時間をお金に還元してしまったら、結局普通の会社に勤めているのと変わらない。
この偉大なるものに対し支社の人間は、つまりホワイトカラーの人間は、今メスを入れようとしているのであるが、現場の同僚と言えど、上に述べた通り真にその恩恵を感じているのは僕と他数名なのだろうから、力を合わせて抗議の声を上げるのは想像以上に難しい。別に悪気があって労働環境を悪くしているのではないのだろうが、恨み節を述べたくもなるほどの杓子定規でオアシスの埋立工事が行われようとしているのだと指摘せざるを得ない。
先日述べた、事務所の移転や要領書の作成といった業務は、時間の浪費といった観点から僕は反対しているのである。3月からいよいよ始まった、世にも奇妙な「一時間休憩」体制も新たな不満の種である。僕の仕事は24時間勤務の仕事なのだが、世間一般的には当然労基違反に該当する。但しそれは、仕事と言ったらその時間一杯身体を動かしているに違いないといった世間的誤解から生まれた話であって、仮にも天災等が発生しない限りは、アパートの一室で一人“待機”しているだけなのだ。最近、労基に駆け込んだ馬鹿社員の為に、強制的に休憩時間が設けられたのであったが、余程の虚弱体質以外は、“待機”中に身体を休めておけばそれで事足りるのである。休憩時間は、余分に人員を充てる事で確保されるに至ったのだが、先日同僚の一人が転勤になったので新たに欠員が発生した。「よし!24時間体制に戻るんだろう」と思っていたところ、上司の下した判断は労基向けアリバイとしての「一時間休憩」体制であった。夜中のど真ん中に一時間休憩を設けたところで、勿論眠れないし、その前後には引き継ぎが余計に発生する為、我々の目の玉は益々ギラつくばかりである。休める時に休まないと次の日が眠くなって(時間が)浪費されるという話なのだ。
弊社に限らず労働基準監督署に勤めているような管理職、ホワイトカラーに慣れきった人間は、仕事を如何様に捉えているのだろう。あっちのものをこっちに移したり、システムを構築したり、アリバイ作りをする事が仕事だと思っているのだろうか。そこに、涙ぐましい努力と根性と良心を如何に注いだところで結局余計なお世話なのだ。様々な価値観の再評価をやりたいとの思いも、僕が日記をやっている一つの理由である。

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