ロマンチックあげるよ

「GHQ焚書図書とは何だったのか?」というチャンネル桜の討論番組過去作を振り返った。僕は西尾幹二氏が昔大好きで、西尾先生という存在を通じてチャンネル桜を知り得たと言っても過言ではない。何が好きだったかと言うと、これは水島総氏が以前どこかで指摘していた点でもあるのだが、彼氏の人間的特徴にあると思われる。先生は、一言で言えば「ロマンチスト」であったと言える。肩書は評論家という事にはなっているが、根本的にそういう性質があって、この討論においてもよく表れていて面白い(何故、自分の書いた「GHQ焚書図書開封」が戦後日本社会で取り上げられないのかと言ってしきりに嘆いている辺り)。彼氏の嘆きが、戦前戦中戦後といった日本の歩みを語るに向けられた時(彼氏は戦前回帰論者である。保守の大御所である点から言っても当然か)、彼氏のロマンチックな物言いを通じて語られた際、過去「悲惨極まる世界の中で日本は悲劇のヒロインだった」ようであると思える上に、今でもそれが継続中であるかのように思えて来るのである。不遜にもそれに感動してしまって僕は現在に至っているのだ。この感覚は中々一般に理解して頂けない。「日本という存在は世界的にみると本当にそういう側面があるのだ!」とジャン・クリストフの如き憤慨を持って力説しても通じない所がどこか滑稽さを感じさせる。
何故西尾先生は、GHQ焚書図書開封といった作業を始められたのか。実は焚書とは言っても、戦前戦中に書かれた日本の書物が戦後アメリカによって、彼等にとって都合の悪い部分が完全に消滅させられたという訳ではなくて、東京の国立図書館には未だに何千冊といった膨大な量が堂々と眠っていたし、それを彼氏は横目で確認して知っていたので、普段から忸怩たる思いを抱えておいでになったそうだ。そこを水島氏に後押しされてあの番組が始まり、最後この討論にて完結に至ったのだ。とても西尾先生らしいエピソードである。
彼氏は学者(文学的というより歴史的要素が強い)なので、番組も彼氏の著作も純粋に焚書図書を“味わう”という構成になっていないが、真面目に引用がなされているので、それを読めば当時アメリカが何を葬りたかったか、それが物質的にではなくて精神的なものであった様子がぼんやり見えて来るであろう。
彼氏は討論中「焚書は宝の山である」とも言っていた。中国共産党は「南京大虐殺は存在した」というデマを流して日本の一部歴史学者もそれに呼応した事実が過去存在したが、水島氏が焚書の本文を一部引用しながら、デマを粉砕する為の物的証拠にもなり得る旨を力説する場面があった。国際的に存在価値の高い資料とも言えそうである。そもそも生々しい南京従軍記が引用されているので読みさえすれば肌身でそれを悟る事ではあるのだが。
西尾先生は最近元気だろうか。彼氏のような聞き分けの悪い頑固親父は言論界において殆ど死滅したと僕は見ている。焚書に限らず、日本的特徴が今一つ一つ悲劇的に、殆ど省みられる事もなく消え失せている真っ只中と言えよう。

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