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私は骨折しないのである

 朝食後、慎重に雪道を散歩する。
 今シーズンの初積雪のときは、ゴミ捨て場に行く際に派手に転んでしまったのだった。手に持っていたゴミの袋がすぽーん!とどこかへ飛んで行くほど、凄まじい衝撃であった。

「これはさすがにどこか骨折してしまったに違いない、どうしよう、通りすがりの人に救急車なんか呼ばれちゃうのかな、恥ずかしいな、でも私きっともう動けないんだろうし・・・」

 地面に横たわりながら、一瞬のうちにそんな思いが走馬灯のように巡る。ーーが、私は無傷であった。どこも痛くない。ゴミの袋は空高く華麗に舞い上がり、信じられないほど離れた場所に落ちてきた。(他様の二階のベランダなどに入り込んだりしなくてほんとよかった)


 私は骨折をしたことがない。だからどうしたということもないが。子供の頃から激しいスポーツをして青アザや生キズが絶えない生活であるわりに、骨折はしないのである。格闘技やらスノーボードやらモトクロスやら、私がクラッシュするたび、そしてよろよろと自力で起き上がるのを見るたびに、父は興奮してよく言ったものだ。
「ひゃー! 生きてらぁ!」

 反対に、骨折経験者の話を聞くとびっくりしてしまう。
「体育の時間にさ。バスケでパスもらったとき小指になんか違和感あったんだよね。で、その日の放課後に小指さすってたら、ポキッて音がして。病院行ったら骨折してたわ。うける」


 閉経して女性ホルモンが減ると一度に骨がもろくなるのだそうで、誰もがその影響を必ず受けるわけだけれど、普通の人に比べたら私には骨密度やら筋肉量やら、多少は「貯金」があるのかも知れない。健康長寿のために幼少期から体を鍛えることは有益である。ただしそれが体罰や、根拠のない根性論や、いわゆる「虐待」によるものであることは残念だとしてもーー。

(虐待というならばスパルタだけでなく過保護もそうである。子供に楽をさせ怠け者にしたり、飽食させ肥満させたり、あるいは酒やタバコを覚えさせ堕落させたり、他人を尊敬するように育ててくれなかったり、そしてもちろん無関心も、すべて立派な虐待である。それを考えれば私の父だけが特別「子育て失敗」というわけでもあるまい。彼は彼なりに一生懸命だったのだ)

 しかしながら私も兄も精神的には崩壊し、失うモノの多い苦しい子供時代であった。けれどもそのことで得たモノもあるとしたら、それはもう堂々と自分の武器にしたら良い。いつまでも父親にいじめ抜かれた可哀想な子供でいるわけにはいかない。つらい環境を生き抜いた私は勝者である。私は骨折しないのである。


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