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私にはそういうことがさっぱりわからない。

 昨日のNOTEはずいぶんとネガティブな日記になってしまった気がして、なんだか一日中ざわざわと心が落ち着かなかった。
 朝になって「スキ」がついているのを見つけて少しホッとする。誰だって他人の評価からは自由になれない。

 かといって "期待に応えられる人" では私はまったくない。
「君って有能だけど、なんか裏切られそうで怖いんだよなぁ。大丈夫かなぁ」ーーどこへ行っても同じようなことを言われてしまう。
 私の目から見ればそもそも信頼関係など築いていないのだから、裏切るもなにも、私は私の仕事をするだけである。それ以上のことはやらない。いったい何がどうなって、どのような理由(あるいは暇)があって人々は、他人に「自分への忠誠」を期待するのか。私にはそういうことがさっぱりわからない。

 朝食を終え、散歩に出る。雨の中を歩く。長靴を履くのは久しぶりだ。一歩ごとに靴の中の遊びがパカパカして、ふざけているような気分になる。誰かに叱られるんじゃないかと思わず辺りを見回す。そんなわけない。誰もいない。いたってかまわない。落ち葉と、冷たい風と、濁った水溜まり。まるで鏡だ。私によく似た "季節" ーー。
 立ち止まって歩数を確かめる。もうとっくに(アプリの)一日のノルマである5000歩は超えた。けれどももう少し歩こう。 "孤独" というのは不思議だ。じっと動かずにいるとひしひしと感じられるけれど、歩き出すととたんに感知できなくなる。これはどういうことか。目には見えないけれど、人が移動するときに他の何かも一緒についてくるのかも知れない。何だろう。微生物の大群か、膨大な過去の亡霊(データ)か、動くものに対する人々の視線か、あるいは移動することの摩擦が私以外の何かを生じているのだろうか。わからない。
 立ち止まるとやっぱり私は一人きりである。

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