ブレーキを忘れた老人
寒い・・・。真冬用のもこもこのガウンを着てみる。何か日記に記しておこうと思ったネタがあった気がするのだけれど、北風と一緒に吹き飛んで行ってしまったようだ。頭がすーすーする。
先週までは「暑かった」はずだが。今週はもう白鳥の群れが渡ってきて、いかにも冷たそうな灰色の空を飛び回っている。
前にも言ったっけな? 渡り鳥って、ものすごい距離をノンストップで移動し続けるわけでしょ。鬼の体力よね。でもあれ、ちゃんと寝てるんだってね、飛びながら。居眠り運転ならぬ居眠り飛行ですよ。体力温存のために必要最小限の運動にとどめ、休められる部分は休めてるって感じなのかな。案外、マラソン選手なんかも同じような仕組みになっているのかも知れないね。
年を取ってくると、実感する。重要なのはブレーキであった、と。どんなに優れた機能を備えていても、制御できなければ使い物にならない。3000万円のフェラーリもブレーキを付け忘れたらただの鉄クズなわけで。人間も同じだ。能力の衰えとは、自制の崩壊のことを指す。
先日、NHKの健康番組でジョギングが趣味だというかなり高齢の夫婦を見たが、とても90代80代には見えなかった。なんといっても頭がはっきりしている。
彼らは42.195キロを夫婦で完走したとして、ギネス記録を保持していると言っていたかな。それでも近年になって妻の体力が衰え完走が難しくなり、以来、レースに参加するのはあっさりやめにしたそうだ。
「二人一緒にゴールしなきゃ意味がない。記録に固執せず、これからはのんびり楽しく」
この自制だ。高齢の彼らが健康で若々しく幸せに暮らしているのは、若い頃から自己管理をしっかりしてきた結果、ブレーキの踏みどころを弁えているというところにあるのだろう。見習わなくてはね。
世の中を見渡せば、それこそスポーツをしたり筋トレをしたりと「若作り」に勤しむ老人で溢れているが、そのほとんどが現実逃避型で、自分の老いを認めることが出来ずにジタバタしているだけではないだろうか。自制とは程遠い、いわゆる「年寄りの冷や水状態」である。恋愛に依存する老婆や、勃起自慢をする中年男や、運転免許を手離せないのもそのいい例だ。もともと自己管理が苦手でブレーキのあまい人間が、ましてや能力の衰えた今になってアクセルに執着するのでは、そりゃ暴走するでしょうよね、って。
自制の崩壊は65歳になってとつぜん発生するものではない。老害の前に、若害がいるのである。これまでに蓄積してきたその結果がおいおい出るというだけのことだ。欲をコントロールせずに暴飲暴食を繰り返していればそのうち病気として現れるのだし、だらしなく整理整頓を怠ってきた人間ならば、高齢と呼ばれる年齢になる頃には自宅は立派なゴミ屋敷と化しているだろう。
医者から酒をやめるよう申し渡されたり、子供たちから車を運転しないよう懇願されたり、女性社員からクレームが出たり、ご近所さんとトラブルになったり、いい歳こいて他人から注意されるようならば、あなたは自制が効いていないということだ。すでに老害、もしくは若害であろう。さぁ、アクセルを踏み込め。自滅するまで。