読感1 「誰かのため」に生きすぎない

 今回はオーディブルの”「誰かのため」に生きすぎない”(著者:藤野 智哉)を聞いての感想文です。

 著者は気遣いすぎたり、周りの目を気にしすぎないというような生き方をするのに大きな理由となってることがある。それは幼いころの病気である。重い病気のようで、著者の場合いつまで生きられるか分からなかったのが他人に左右されて時間を無駄にしている場合ではないという考え方になったようだ。

一方、私も大きな病ではないが、社会に馴染めず、コミュニケーションに苦手意識もある。なので見ず知らずの人や、ちょっと親しいくらいの間柄のところに顔を出して会話をするとかも苦手だ。こういう感じなので周りにどう見られているか気になる。コミュニケーションが下手で、容姿も中より下という感じだと思うし、清潔感も身体の特性上無い。

しかし、他人を気にしてしまうのをやめられない。外見もコミュニケーション力も無いけど、性格だけは良いと思って欲しいのだと思う。

そんな性格だけは良いと思って欲しいというのを良い塩梅に落ち着けられたらいいなと思う。

 休みたいときに休む必要性についても触れられている。休むのには何か他人に納得してもらえるような理由が無いといけないと思わず、ちょっと疲れているから休むような気持ちをもって、休むことを実行するのが大事だと言っている。

どこかの本か動画で、会社に雇ってもらうためには、安定的に出勤できるということが大事で、休みたいときに休まれたら困るという話を聞いたことがあった。安定的に出てこれて、遅刻とかもしない、逆に言えば急に休まれたり、遅刻されているのに、他の人と同じ給料ではおかしいと私も思う。

なので、これは著者の方が休みたいときに休める生活スタイルを確立できる環境があるからなのかなと思う。自分の周りにいる人で就労支援の機関みたいなところに通ってる人がいたが、その人は連絡を入れずに無断で休んだりして許されているようだった。そういう環境でもない限り、会社に雇われているなら、会社の方針に沿わないといけないだろう。

著者が言いたいことと、現実を踏まえたら、追い込まれてどうしようもなくなる前に理由を何だかんだ付けて休みを入れて、その間にこのまま続けられるのかちゃんと考え直す。そして本当に追い込まれる前に、家賃を安くして休める環境を整えるとか、自分が経営するとか、何か好きな時間に休めるような工夫をする必要が前提としてある気がする。

 普段からフルパワーである必要が無いという話もこの本ではされている。一生懸命頑張っていない自分は怠惰であるという考え方は危ないということだ。私が呼んだ他の本で、効率化が求められれば求められるほど、人間にもその波が押し寄せてきているが、人間は機械じゃないからそんなことは出来ないというような話もあった。長時間労働で何かを成し遂げてやるんだと思える職場ならいいですけど、無理してやらされているなら、フルパワーで他人の目線を気にして、やらなければ怠惰だなんて思ってはいけないという事なのだと思う。自分もそう思う。

 前という方向がどちらなのかは自分で決めるという言葉もあった。会社にとってはこのまま働きづめであることが前向き、でも自分にとっては疲弊してリタイア間近という場合、それは本当に前向きなのかという話。こういうのは俯瞰して自分を見つめることが出来るかどうかが大事に思えるが、そういう時、自分はこの仕事を失っても構わないとか、この人間関係にひびが入っても問題ないと思えるかどうか、逆に言えば苦しんででもこの会社にいて成功するんだと思えてるかどうか、そういうことを考える余裕があるか無いかが大事な気がした。

 受け流す力が大事、他人に頼れることが大事という話もされている。受け流すというのは性格的に出来るか出来ないかが分かれそうだが、他人に頼れるかどうかは頼れる他人がいるかどうかに関わってくる。こういう時に、無料で相談できる場所を探すのも大事だが、何かをおしえてもらうときにお金を惜しんで独学したりとか、お金が無いとか惜しむことによって頼れる場所を減らしてしまうというのはありそうだ。自分で考える力を付けるのも大事だが、最低限やって、しっかり反省をしたら、相談をするという流れを作ったほうがいいような気がしてきた。

 自分の幸せの基準をつくる、数値化するという話もあった。他人が作った幸せの基準で自分が頑張ってるのに幸せになれないというのは、適性が個別にあるのにたまたま適性があった人間の幸せに、適性がその人よりもないものに執着して幸せになるんだと思ってるのと同じということだ。自分にとって大事なものをランキングを付ける。例えば仕事は人生において何番目に大事なのかを書いてみると数値化されて本当に大事だと思ってることや仕事がどれくらいの位置にあるのか俯瞰してみて、実はこんなに低かったとか、ちょっと高すぎるんじゃないかと思えるのかもしれない。
 また、イライラやモヤモヤの原因を書き出し、それらが自分のイライラやモヤモヤの何割を占めているかを書いて行く。例えば上司の小言2割、帰り道のある出来事1割みたいな感じで状況を整理していく。そしてそれぞれの対応策を考えて行く、全部に対して対応策は書けないかもしれないが、何となくモヤモヤするより可視化出来るようにした方が対策を立てやすいし、気づきも起きる。
 他にも身近な人で助けを求められる人を可視化するのもあった。頼れる人、ちょっと頼れる人、まったく頼れない人を3重の円を書いて一番内側に頼れる人、次の円にちょっと頼れる人という風に書いて行くと、人間関係も可視化されていく。
 私の経験談の中では、前に参加したセミナーでコラム法というものや、森田療法というのがあって、これらも数値化するための技術だった。こういうのを使っていくのが大事だと思った。

 自分の「~すべき」は自分が他人へ期待する思考にも繋がってしまうというのもあった。自分の中での当たり前が他人への強要に繋がるというのは確かにある。だからなるべくそういうのは減らす。~すべきと思考しなくても言動、思考出来るようになっていくのが大事だと思う。

 心配事が起きたかを振り返ってみるという話もあった。今までどんな心配事をしてきたか書き出して、それが実際に起きたのかを書いてみることで、実際はどうかが分かる。

 ~ごっこをしてみるという話もあった。例えばおしゃれな人ごっこをしてみておしゃれな人になった気持ちで言動してみる。こういうのをインテリ風に言うとマインドセットとかそういう風に言うのだろうか。これはやってみたいけど踏み出すのが怖い。

 コミュ力は喋る練習より、余計なことを喋らない練習をするという話も合った。どんなふうに話すかばかりを考えていたので、余計な事が何なのか考えるきっかけになった。


 嫌な人とは距離を取るという話もあった。仲の良い人とだけ会えばいいという事になると思うが、それと反対のことも成長や発見の観点では大事と言える。例えば最近流行りの成田悠輔さんは、偶発性のある出会いによって気づきが与えられるというようなことを言っていた。自分の好みでSNSを通じて繋がっていく、広告も自分がよく見るものだけをピックアップしてくる。そういった世界の中で、偶発的に出会うことの貴重さについて言及していた。一方で対立関係にある人間、趣味趣向がまったく合わない人間たちが分かりあえないことを無理やり分かり合うようにするのもおかしいとも言っていた。余裕を持って行動して、無理な時は距離を取るという感じになるのだろうか。


この本を読んで色んな学びがあったが、ちょっと字数が多くなった気がするのでなるべくコンパクトにまとめる意識を持ちつつ字数多いなと思うようにしていこうと思った。


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