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日常的に「助ける」

「親切」

わかりやすい説明を発見しました。

『親切』の“親”は、“親しい、身近に接する”という意味です。『親切』の“切”は、“心から”、“ひたすら強く”といった意味があります。“切に願う”といったように使いますよネ。そんなところから『親切』という漢字には、“より親しい”という思いが込められています。
“思い入れが深くて切実である”という意味では、古くは『深切』という漢字が使われていたそうです。
出典:「親切」はどうして“親を切る”と書くの? – ニッポン放送 NEWS ONLINE


■ ■ ■

イスラム教徒の友人とディナーに行ったときの話です。

ローカルなインド料理屋さん。

店主と友人は仲良くアラビア語でお話し。もちろん何を話していたのかはさっぱりですが…

いきなり背後からアバヤ(UAEの民族衣装)を来た女性が近づいてきました。

友人と軽く言葉を交わしていたので、店員さんかな?と思い見ていたのですが、

まだ食事も届いていないというのにお金を女性に渡す友人。

そして女性はお金を受け取って店の外へ出ていったのです。

?????

何かと思い、何が起きたのか聞いてみました。すると


助けたんだよ。よくわからないけど。

????????


どうやら、女性は助けを求めに来た人らしく、友人から恵みを受け取っていたのです。

物乞いというものですね。

ドバイに物乞いの人がいるのは置いておくとして、

びっくりしたのは、友人が

理由も聞かず人助けをしたこと


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イスラム教の教えに、「喜捨」という義務があります。

これは、”貧しい人に施しを与えなさい”というもの。

だから、友人も、理由は特にはないけれど、困っている人がいたから

助けたということがわかります。

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ところで、ドバイには、イスラム教の「喜捨」の教えを利用して

お金を稼ぐ物乞い集団がいるとの噂を発見しました。

ドバイでは、物乞いは犯罪です。

この記事によると、警察は過去3年間に800人以上の物乞いを逮捕したのだとか。

ドバイで物乞いをしたら、最高で100,000ディルハム(3,000,000円)の罰金,もしくは5年の禁固刑の法律があります。

しかし一方でイスラム教徒は、乞われたら与えなければならないので、これはややこしい問題が起こってきます。

犯罪に巻き込まれるのか神の教えを守り抜くのか。

親切心と義務の喜捨。どうももやもやが残るのです。

親切な人であれば、本当に困っているのか声を優しい言葉を掛けたり、相手のことを思って施しをしたりするのでしょう。もしくは、相手のこれからを思ってすぐにお金は与えずに、何かのアクションへとつなげる。

もちろんイスラム教の「喜捨」の教えも理解できる、すばらしい行いです。

ただそこに相手を思う気持ちがあるのかが問題ではないかと感じます。


本当の親切とは???

なんだか議論のし甲斐のあるテーマを日常に発見しました。



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