連載更新!文芸批評4(続き)村上春樹『街とその不確かな壁』の原点は、忘れられた傑作『1973年のピンボール』である 2
連載更新!文芸批評4(続き)村上春樹『街とその不確かな壁』の原点は、忘れられた傑作『1973年のピンボール』である 2
※写真は全て土居豊の撮影
※前回まで
土居豊の文芸批評その4
村上春樹『街とその不確かな壁』の原点は、忘れられた傑作『1973年のピンボール』である
https://note.com/doiyutaka/n/n496a4b188cfa
(4)ピンボールの主役・鼠の故郷、西宮と芦屋
本作は、前作『風』でもう一人の主人公だった語り手「僕」の親友「鼠」についての章が全体の半分を占めていて、「僕」の章と「鼠」の章が交互に配置されているという、のちの村上作品で定番となる並行進行の構成がとられている。その意味でも、本作はのちの村上作品の原型を成している。
※以下、引用部分は講談社文庫版による
p39
1973年の秋、「鼠」は語り手「僕」が東京で過ごしている同じ時期を、故郷の阪神間(とおぼしき「街」)で暮らしている。
この「街」は、前作『風の歌を聴け』で「僕」が生き生きと描写したあの街である。神戸の近くの街、作者・村上春樹の故郷、芦屋と西宮の海岸沿いの辺りだと思われる。前作の中での描写は、作者・村上の密かな(というより、あからさまな)故郷への愛に満ちており、わざわざ用もないのに街を車で走り回る描写から、明らかに芦屋市の特徴が見てとれる。
その「街」の特徴が、のちの中編『街と、その不確かな壁』(文學界1980年)で、「彼女」の語る壁に囲まれた街の特徴と一致していることを、前章で述べたところだ。ご興味ある方は、遡って読んでいただきたい。
p42
《1970年春 鼠は大学をやめた》
とあるのだが、これは前作『風』に描かれた夏休みの、さらに前の時期を指している。
「僕」の故郷の街で「鼠」が通っていたのは、関西学院大学がモデルだと思われる。それというのもこの大学は、どうやら作者・村上自身が受験した大学でもあると考えられているからだ。つまり本作の「鼠」は、語り手「僕」とともに作者自身の分身だといえよう。
関西学院大学は、作者・村上の故郷である阪神間の学生が多く通う歴史ある私立大学で、ヴォーリズの設計したキャンパスの美しさでも有名だ。
p54〜56に書かれた阪神間の変化やその他のエピソードも、注目に値する。作者・春樹少年自身の体験と、おそらくそう違わないと考えられるからだ。
《無人灯台は何度も折れ曲がった長い突堤の先にぽつんと立っていた。》
《魚が姿を消したことと、住宅都市に漁村があることが好ましくないという住民のとりとめのない要望(中略)
漁師たちはこの地を去っていた。1962年のことだ。》
《少年時代、鼠は夕暮の中を、その瞬間を見るためだけに何度も浜辺に通った》
《白い砂浜と防波堤、緑の松林(中略)
その背後には青黒い山並みが空に向けてくっきりと立ち並んでいる》
《右手には(中略)
静かな住宅地やヨット・ハーバー、酒造会社の古い倉庫が続き、(中略)
工業地帯の球形のタンクや高い煙突が並び、その白い煙がぼんやりと空を被っていた》
(5)直子の転生と、次作の『街と、その不確かな壁』
村上作品の特徴として、別々の小説に似たような人物が、名を変え、設定を変えて
登場していることが挙げられる。その中でも、「直子」は例外的に、同じ名前で『ピンボール』と『ノルウェイの森』に登場している点で、作者にとってもっとも思い入れのある人物像だということがいえる。ちなみに、もう一人、例外的に「牛河」だけは、『ねじまき鳥クロニクル』と『1Q84』に別々の人物として登場しているが、ここでは置く。
デビュー後第2作の『ピンボール』に、作中で唯一、普通の名前を付けられていきなり登場した直子は、全作品中でも最大の重要度を持っている。それというのも、直子の原型となった女性が、村上作品で次々と転生していくと考えられるからだ。
その転生の系譜は、以前の回にまとめているので、ご興味あれば読んでいただきたい。
※土居豊の文芸批評その2
村上春樹『街とその不確かな壁』の彼女の正体は?
https://note.com/doiyutaka/n/n0266ed29df2f
それはともかく、本作の中では、死んだ直子が別の人物や別の「もの」に宿ったような、不思議な再登場をする印象を与える。もちろん、もっとも目立つのは作中の後半に発見されるピンボール・マシンだが、その前に、前述のように、突然異世界から出現したようなふたごの女性たちの中にも、直子の気配がある。また、小説の途中に何気なく語られる学生時代の下宿のエピソードにも、直子の気配が漂う。
p59
《その髪の長い少女は二階の階段の脇に住んでいた。(中略)
彼女の名前はすっかり忘れてしまった。悲しいほど平凡な名前、としか覚えていない》
同じ下宿のこの少女は、直子の転生だと考えてもよさそうだ。「彼女」の名前は忘れたとあるが、これはいかにもわざとらしいからだ。この時期、1970年の秋は、直子の死の年の秋であり、死んだ直子が転生したとしてもおかしくはない。いや、もちろん、現実にはおかしいのだが、そこは村上作品によくあること、という意味合いで、おかしくないと思えるのだ。
そうして翌年1971年の春、直子を失ったままの「僕」は、直子が転生したらしき少女と寝たことが示唆される。
p64
《部屋いっぱいに差した冬の日差しが曇り、そしてまた明るくなった。
「でも話なんて聞きたくないでしょ? 私だったら聞かないわ。嫌な思いを残した人の食器なんて使いたくないもの。」
翌日は朝から冷たい雨が降っていた。》
意味ありげに、一行空けてある部分が、行間を読めと促している。
しかも、その後の村上作品で死者の蘇りや転生のモチーフを象徴するように用いられる、雨の日という共通点がこの謎めいた少女の場面ですでに使われているのだ。
この後、本作の中で特に重要な言葉が書かれる。
p66
《何処まで行けば僕は僕自身の場所をみつけることができるのか?》
この問いに対する答え、それこそが次作『街と、』のあの「街」となって具現するのだと考えられる。ここで本作の直子は、転生を重ねて次作『街と、』の「彼女」として、直子の原型となったと推測される作者・村上自身の高校時代に親しかった女子高生に限りなく近い姿で、再登場することになるのだ。
p73に描かれるように、「僕」の住む東京はJR中央線沿線と思しき町で、村上自身が住んだことのある三鷹か、国分寺あたりではないかと考えられる。
また、p96にあるように、貯水池は直子が住んでいたあの町の近くにあると思われる。本作中盤の山場といえる「配電盤のお葬式」の舞台である。
もちろん配電盤は、死んだ直子の魂の代わりであり、そのお葬式は、直子の死を弔う儀式のやり直しである。その「直子=配電盤」のお葬式の場所は、示唆に富んでいる。
p98で描かれるお葬式の場所、貯水池とは、次作の『街と、』に出てくる「街」の「たまり」の原イメージだと考えられるからだ。
「僕」は、直子の気配を宿しているふたごの女性たちに誘われるまま、配電盤のお葬式という形式で直子を弔ったのだが、この情景は、配電盤という「もの」に仮託された恋人の魂という、村上作品にこののち頻出していくモチーフの最初の例である。さらに、『街と、』のたまりの原型としての貯水池に沈んだこの配電盤は、村上作品のこののちのパターンになぞらえると、この世界から脱出し本人の影と合体して、別の世界で再生しているはずなのだ。
このように、本作には直子の再生と転生のイメージが繰り返し描き分けられている。
一方でこの小説中、「僕」の生活場面で唯一、生きている実感のある人間との交流が、のちの妻である事務員の女性とのやり取りであることも見逃せない。
p104
《君は可愛いし》
とあるように、「僕」にとってのこの女性は、現実の女性としてなかなか魅力的であったようだ。しかし、この時期、「僕」はまだ失った直子の記憶を求めて彷徨う状態だった。だから、この女性がもし「僕」を男性として意識していたとしても、「僕」の側はそうではなかったのだろう。同じ場面で、「貯水池の底の配電盤を想った」とあるように、「僕」は未来の妻となる女性を口先だけで慰めながらも、死んだ直子のことを想っているのだから。
土居豊:作家・文芸ソムリエ。近刊 『司馬遼太郎『翔ぶが如く』読解 西郷隆盛という虚像』(関西学院大学出版会) https://www.amazon.co.jp/dp/4862832679/