1.人口の格差

都会と田舎では、当然のように地域格差が存在します。例えば、都会では当たり前にチームを組める野球やサッカーも、田舎では吸収合併や他チームと合同で試合に出場する、といったことが、割と当たり前にあります。お話するスポーツチームの多くは、人が少ない少ないと常に嘆いているところもありますね。

よくよく考えれば、日本の人口は単純に減少していくし、仕事がある都会に出ていくしか生きていけないので、田舎から若者は去るし、で人口がたくさんいた時代の制度が現代に合わなくなってくるのは当然のことですね。

さらに、人口密度が低く、子どもたちが分散している田舎において、スポーツの習いごとには送迎が必須になります。でも、賃金が安い地方において、生活のために共働きする世帯も多く・・・。この辺りは、都会も変わらないかもしれないですが。

2.サービスの質と多様性の格差

当然、人口の多い都会ではスポーツサークルや民間スポーツクラブ等がたくさんあり、競争が行われるので、それぞれが提供するサービスは多様化し、区別化されて、質の高いものへと変わっていきます。では田舎はどうかというと、競争は行われず、1団体がそのエリアを独占することになります。そのため、指導者がスキルアップする必要もなく人が集まるし、ふんぞり返って「辞めたくなかったら、言うことを聞け」的な指導ができちゃうわけです。そのため、田舎でも自律できる指導者がいるクラブのみ進歩しますが、生きるか死ぬかの競争をしている都会と比べたら、どこまで勝負できるのか、と思うこともあります。

もうひとつは、サービスの多様性の格差があります。人がいっぱいいるなら、競技人口の少ないスポーツにも人が集まります。集まれば、そのスポーツ団体は存続できますね。田舎は、そもそも人が少ない地域なので、競技人口の少ないスポーツをやる団体は少なく、稲敷市のトランポリンや牛久市のSUPみたいに、その市町村ごとにやりたい人がやっていますが、選択肢という点から考えると、都会に比べて圧倒的に少ないです。

3.格差が作る子どもたちの将来の差

もっと他にも、差はたくさんあって、体育施設が空いていることが多いなど田舎のメリットもあります。が全体的には、田舎の方が損しているんじゃないか、と思うわけです。特に、どこもはどこに産まれるか選択できないわけで。

田舎に産まれると、野山を駆け巡って遊んでそう。そんなイメージがありますよね。でも、稲敷市の現状でいうと、バス通学で友だちは近所に住んでいないので、オンラインのゲームを通じて遊んだりすることも多く、あまり外で子どもを見かけません。同じ地区内に同世代の子どもがいないということも聞きました。また、育児を支援するサービスが整っていないため、育児の負担がほとんどお母さんに行くこともあり、ゲームやYouTubeを渡しておくと、とりあえず静かにしている、そんなことも耳にします。意外と、田舎も運動していないんです。

そして、質の高いスポーツサービスは受けづらい。

その一方で、体育施設の空き状況なんかは、人がいない分田舎はいいわけです。この格差を、なんとかできないかなぁと、悩んでいるこの頃です。

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