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PROFILE[何者でもない私 編]

9月。長月(ながつき)。学生でいう「新学期」。

9月はとても好きな月です。私の誕生月でもあるし、これまでの人生において重要な転機が多く訪れたのもこの9月という月でした。

そんな9月になりましたので、あらためて私の仕事のことやプロフィールなどについて何回かに分けて書かせて頂こうかと思います。今回は「独立」と「独立に至るまでの経緯」について書かせて頂きます。

独立心のない私

私がこの度独立してフリーランスの新規事業企画・立ち上げディレクターとして活動していくことについては、私のnoteであるこちらや私が参加しているコミュニティ「僕らの屋根裏部屋」のnoteであるこちらでも書かせて頂きました。

「独立」なんていうと確固たる意志があってカッコ良い響きなのですが、私の場合には元々独立心やフリーランスになりたいという強い気持ちや想いを抱えていた訳ではありませんでした。独立心がなかったというよりも、言い換えるなら「独立がベストな選択だとは全く気が付いていなかった」というのが正しいかもしれません。

自由に力を発揮できる環境と受けきれないオファー

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私は在籍先の会社で自分のために部門も新設してもらい責任者もさせてもらっていました。なおかつ経営者と二人三脚で経営にも携わらせてもらっており、ある種自由に力を発揮できている部分もありました。私の年齢やスキルなどを総合的に判断すると、どこに行っても同じような経験をさせてもらえる訳ではないだろうと自分自身でも思い込んでいた、ということもあり「独立」という発想を抱くに至っていませんでした。

そうであればそのまま末永くその会社にお世話になればいいのですが、そう単純な状況でもありませんでした。

在籍先での私の責任が重くなっていくのと時を同じくして、プライベートな繋がりの色々な業界の方々から「一緒に仕事を!」とオファーを頂く機会もどんどん増えて来ていたのです。これまで私がIT業界に軸足を置きつつ幅広い業界を経験してきたことを見込んでオファー頂いていたのですが、では自分が所属している会社で全ての依頼をお受けできるかと言えば、それには現実問題としてのハードルも多くありました。では、趣味の範囲で対応できることであればプライベートでお金を頂かずに…という事も実際ありましたが、それではビジネスとして自分もコミットし切れない。そんな中途半端な状況が約半年ほど続いていました。

今思えばこの時点で独立を進めてくださる方もたくさんいましたが、そこでもピンと来ていなかった私の「独立」への感度は著しく低かったのだと思います。

「何者でもない」私

そもそも私が「独立」という選択肢に気が付かなかったのには、私自身に大きな問題がありました。それは「私は何者でもない」という自信の無さでした。

私は元々SEとしてキャリアをスタートし、ありがたいことに全工程の経験をさせてもらいました。そこから営業としてフロント対応も経験させてもらい、自分で取ってきた追加改修を自分でコーディングするようなこともありました。(残念ながらプログラマーとしての才能は開花しませんでしたが…) 今思えば、幅広い業務を対応するということは業務の効率化を図らないと対応しきれないため、この時から自ずと業務効率化のスキルも身に付いていたと思っています。

その後、ITの経験をベースにしながらも所属先で「求められるまま」に経営企画やBPO業務、新規の店舗開発などあらゆることを横断的に経験することになります。通常であれば「それは私の仕事ではない」とか「それは未経験で対応できない」という事が出てくるのが普通だと思うのですが、私は特殊な前提があって違和感なく「求められるまま」に全てを対応していきました。一切を断ることなく。

その理由はこちらでも書いた通り、そもそも学生時代から「領域を超える」「分野を横断する」ということが大前提の専門分野だったため、仕事においても「幅広い業務」「各部門を横断する」ということについて最初からほぼ抵抗がありませんでした。

また、学生時代の自身の研究も、先行研究がない中で試行錯誤して取り組むのが当たり前だったため「新しい事でノウハウがない」「自分はやったことがないので分からない」という事に対しても著しくハードルが低く、むしろ当たり前くらいに感じていたと思います。

そんな人間がいれば、会社としては新しい取り組みや幅広い業務、何かの立上げを押し付けるには最適だっただろうと思います(笑) そこから私の業務の「幅」と「量」はどんどん雪だるま式に拡大していきました。

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自身の置かれたそうした状況を「私は何でもできるんだ!」と思うか「私は何者でもないんだ…」と思うかで人生の色はガラッと大きく変わるのだと思います。私はそこで自分の事を「何者でもない私」「専門のない私」と思ってしまったのです。当時はビジネスの場において「ご専門は?」と聞かれると自虐を込めて「プロの雑用係です」と答えていたほどでした。

「何者にもなり得る」

そんな自分の事を「何者でもない」と自己否定している人間が、前向きな「独立」という選択肢を思いつかないのは至極当たり前と言えば当たり前です。

ただ、そんな時に私にとって大きな転機となる出会いに恵まれました。仕事とは全く関係ない趣味の会に参加した際にある会社の役員の方と仲良くなり、その方が私に興味を持って色々と話を聞いてくださったのです。そして、下記のような話をしてくれました。

私もシナリオライターや心理カウンセラー、もちろん会社の役員など色々なことをやっていて何ものでもないんですよ。自分もずっと自分の事を「何者にもなれなかった自分」と思ってきたんですが、気が付いたんです。違うんですよ。一つの専門を突き詰めるという事は、とても素晴らしい反面「それしかできない」という諸刃の剣でもある。これからは軸足を置く場所があった上で「何者にもなり得る」ことが強みになる時代です。これからはあなたのような人の時代だと私は思っています。

よくドラマなどで表現する「人生が動き出す瞬間」というのを、この時感じました。「何者でもない」のではなく「何者にもなり得る」。コップに入っている水を「もう半分しかない」と考えるか「まだ半分もある」と考えるか、みたいな話なのですが、この発想の転換だけであらゆることの捉え方がメキメキと音を立てて好転していくのをこの時感じていました。

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もちろんそこから色々なご縁やオファーが重なって独立ということになったのですが、では私が独立するにあたって何を仕事としているのか、どんな対応依頼をお受けしているのかという具体的な話についてはまた次の機会に書かせて頂きたいと思います。

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