doing history tokyo 「東京で『歴史をする』」ということ
私が屋号として使わせて頂いている「doing history」。直訳すると「歴史をする」。はて?歴史をするってどういう事なのか。またなんで「歴史」なんて概念がビジネスの屋号と関係あるのか。
「doing history」との出会い
私がこの言葉に出会ったのは「歴史とは何か」を研究していた学生時代のことで10年以上前になります。元々、比較文化学という既存の学問分野を横断する専攻に身を置いていて(この専攻が今の私にもたらした影響はとてつもなく大きいのでまた別の機会に詳しく書くとして)、その中で「歴史哲学」といわれる研究領域に入って行った頃でもありました。当時の担当教授に勧められた『ラディカル・オーラル・ヒストリー』という1冊の文献の中で「doing history=歴史する」という概念が紹介されていたのです。
この文献の著者はオーラルヒストリー研究の第一人者であった保苅実さんという方で、私がこの本と出会った頃には既に若くしてこの世を去られた後でした。(オーラルヒストリーの定義については色々な解釈がありますが、私はある特定の個人に過去の体験を口述してもらい、その記録や分析から様々な『歴史』の在り方を考察する研究や取り組みと捉えています)
保苅さんは「doing history=歴史する」とは「歴史を実践すること」と定義していて、なおかつ「歴史実践は、他のさまざまな日常的実践と並存し同時進行」しているとも言及していました。具体的には「身体的、精神的、霊的、物的、道具的に過去と関わる=結びつく行為」「過去を呼び起こす行為」が歴史実践であると。つまりは「今」を生きる私が日常生活の中で「過去」の「何か」を思い起こしたり参照して行動する時、それを「doing history=歴史する」と呼ぶというのです。
正直、当時「doing history」という概念に初めて触れた際は「雷に打たれた!」とか「人生観が180度変わった!」というような認識ではありませんでした。今思えば、保苅さんの言う「歴史実践は、他のさまざまな日常的実践と並存し同時進行している」ということも自分の「実感」として全く理解できていなかったのだと思います。
「doing history」への気付き
その後、私は夢破れて研究の道から去り、システムエンジニアとしての社会生活を送っていたのですが、やはり変り者の私がすんなりと世の中を渡っていける筈もなく様々な葛藤の中に身を置いていました。
そんな時、学生時代同じ研究会だった先輩から近況報告と共に「研究は常に生活の隣にあるものだから」というメッセージをもらい、その言葉にハッとした私はかつて自分自身が論文の中で主張していた事を思い出しました。
過去を振り返らずして今はなく、今がない者には未来もない。今を生きるという事は日々「歴史」と向き合い続ける事である。
「今の私は過去とも今とも向き合えていない」そんな後悔と共に、ふと「doing history 歴史する」というかつて学んだ保苅さんの言葉が思い出されました。
「ああそうか。社会生活の中で『過去』と向き合いながら『今』を生きていくこと、それはdoing historyなんだ」
そしてこの時初めて、本当の意味で保苅さんの「doing history 歴史する」という生活に根差した歴史実践の在り方を理解することができたと思っています。
そこからは毎日帰りの電車で「今日はどうすればもっと良い提案ができただろうか」「上司から突っ込まれたことにどうすればちゃんと答えられただろう」と考えて「明日はこうしてみるか」という日々が続いていきました。ビジネスで言うところのPDCAサイクルの実践といったところでしょうか。そう言ってしまえばそれまでなのですが「私は東京でdoing historyしている」そう考えることが過去・現在・未来の私を繋げてくれている、そんな風にも感じていました。
私は東京で「doing history」している
そこから更に約8年ほどの月日が流れた2019年。かつてあれほど不器用にしか世の中を渡れなかった私が、ビジネスの世界でフリーランスとして独立するという機会に恵まれました。屋号をどうしようかと一瞬考え、やはりこの約10年間の私を支え続けてきてくれた「doing history」という言葉しかないだろう、そう思いドメインを取得しました。なおかつ.tokyoドメインを。
doing-history.tokyo
私は東京で「歴史」をしている。
私は東京で過去・現在・未来と向き合って「今」を生きている。
そんな想いを「doing history」という屋号に込め、フリーランスとしての活動を開始させて頂きました。
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