10年前あなたは何をしていましたか?
10年前の今頃、何をしていたか?
というXのポストを見かけました。
歳をとってくると10年前ってほんのちょっと昔みたいな感覚になってしまいますが、
この10年間何してきたんだーもったいないー
という思いもあって今回は「過去回」を書いてみます。
よかったらスキ❤️この時点でつけていただけると幸いです。
先日、ちょうど次の10年をどうするかみたいな話を書きました。
正確には、50歳までに何をするのか、50歳からも何かできるのかという話。
んじゃー、これまでの10年はどうだったのか。。
【約10年前】
人生でいちばんきつかった時期かなと感じます。
東京に長期出張、お客様先常駐。
炎上どころではない大災害中のプロジェクトのど真ん中に入っていました。
弊社チームは5人だったかな。
プロジェクト全体では数百名だったと思います。
驚かないで欲しいのですが、この5人全員がその後退社することになります。
もちろん、僕は前向きな転職ではあったのですがこのプロジェクトがトリガーを引いたと言っても過言ではないです。
大袈裟ではなく、初日から2徹だったと記憶しています。
27:00くらいに打ち合わせがあったり、
時間の感覚もおかしくなります。
1日5食を職場近所の「なか卯」さんで食べていました。
マンスリーマンション借りていましたが、過ごした記憶があまりないです。
超有名な某社案件で、全社員に関わる大規模基幹システムのリプレース。
1次受けも超有名なところで、
その両方の本社がある街には二度といきたくないと思っています。
僕はこの案件で「エンジニアとしての底辺(な働き方)」を見たと思っています。
中身は触れづらいのでそこそこにするとして、
帰れない日もあったし、帰れる日もありました。
帰れる日は、夜中の2時頃に会社をでて帰宅、
9時には出勤するために7時には起きます。これってもう徹夜ですよね。
なので夜中の3時頃にマンションに着くわけですが、
そこから着替えてランニングに行くわけです。
その頃はまだ某超マイナー武道を嗜んでおり、
35歳だし、そろそろ年齢的にも潮時かなぁと思っていた頃。
「闘う」から「楽しむ」にシフトするかどうか迷っている時期でした。
その年の福岡県大会でたまたま1位になれたこともあり、
日本代表に選出、世界大会に出ることになりました。
しかも、日本開催だから出やすい。
ラッキー続き。
たまたま1位というのも、ほんとたまたまで、
その当時の僕が出ていた競技でどうしても倒せなかった3人がいました。
この年は、そのうち一人が出てなかったかなにかで、
あと二人にはなんとか勝てたという奇跡。
豪運が光った日でした。
そんなこんなで、世界大会にでれるのであれば師匠に恩返しにもなるだろうという思いで参加表明。
ちっとも強くないのに世界大会に「出る」が目的で参加したのでした。
そのために走る。
長期出張中なので稽古ができない。
ならば走るしかない。
たまたま近くに大きな公園があったので可能な限り身体を動かしておきたい。
徹夜じゃない日はこんな感じで過ごしていました。
たまにある休みの日には、
現地の道場に連絡して稽古に参加させていたきました。
マイナーな武道って、試合に出てくる選手よりも道場古参のおじさんの方が強かったりするんですよ。
急に連絡して、稽古させてくれっていうやつに容赦するわけないじゃないですか。激アツの指導をうけつつ勉強させていたきました(今も仲はいいですよ)
新宿まででれば、いろんな体育館でフリーで稽古している武道や格闘技の方々もいますのでそれに参加していきます。
礼節さえ守れば仲良くしてもらえますし、
逆に空気が読めないとケガしますので、皆さん真剣です。
少しばかりの休みをそのように過ごしつつ、
炎上プロジェクトは続いていきます。
あたりまえに人が倒れだします。
僕らのチームはどちらかというとプロジェクトマネジメント側だったので拘束時間こそ長かったけど、そこまでの被害はありませんでしたが、
実際に手を動かす人たちは体力よりも気がもたないという状態が続きました。
2週間おきに20人ほどが投入されてくる感じです。
つまり2週間で20人くらいが辞めていくか、辞めされられるかという世界。
ここにどん底を見ました。
ちまたに聞く、Java歴3年(ほんとはprogateくらいしかやってない)みたいな派遣SEさんとか生ぬるいくらいで、
4次、5次団体になってくると
「昨日までガソリンスタンドで働いていたんですが、お役に立てますかね??」
なんて人もいる始末。
ちなみにこの方は仕事ができる方で、言われたことはきちんとこなす真面目な方でした。元気かな。。あなたのおかげでスムーズにテストフェーズが完結しました。その節はありがとうございました。
3次くらいから入ってくる自称SEさんはプライドが高く
「俺はエンジニアなのにこんな仕事はできない」とか言っちゃって発狂したりとめんどくせーやつだなぁみたいな事件もありました。
これらの方々を統率してプロジェクトを進めていくわけですが、
気が狂いそうになるわけです。
もっといいやり方があるはずなのに、
お客様が「超お役所仕事」であるため、旧来の方法(紙)じゃないと認めないという雰囲気。
1次もそれに従う他ないため、2次の僕らもそのせいで発生する大量タスクをコントロールするのに必死というわけ。
だから拘束時間が長くなるのですね。
そんな仕事に揉まれているから、
僕はプログラマとして技術的な進歩もなく、かつ楽しみを見出せず、
エンジニアってなんだろうみたいな状態になっていったわけです。
今はいい時代ですね。
好きなことできるし。
そんな中、
休日出勤をお断りし、世界大会に挑みます。
僕の目標は
「体調不良を起こさずに大会会場まで無事に辿り着く」
になっていました。
師匠への恩返しのため、なんとしてでも出場することが大事という想い。
あたりまえに大会会場はだだっびろく、各国の選手が集まっていました。
僕の背中には「JAPAN」の文字が。
マイナーな武道なのでたいしたことはないんですが、それでも日本代表という経験は貴重ですよね。
残念なのは子供達が覚えていないということ。
声援は聞こえたのになぁ。。。
結果的に、試合の部で入賞という形で終わりました。
他には型とかね、いろんな競技があります。
試合後にアメリカチームの中に知人を見つけたのでご報告。
すると後ろから知人の奥様が、
「Congratulations!!」
ってお声をかけてくださって。
ほんとに世界大会なんだなぁと感じました。
大会側からの計らいで、今後の研鑽のためにということで、
試合で組み合わなかった他の選手とエキビジョンマッチをすることになりましたが、そちらで若手の選手にフルボッコにあったのでやっぱり僕なんてまだまだだなぁという印象で大会終了。
僕の動きを見た本部からうちの師匠へお褒めの言葉があったそうで、
不肖の弟子としてはよくやった方でしょうか。
ミッション完了です。
実は、オフィシャルで到達できる賞というのはここが最高地点だったりします。
僕は未熟なまま、たまたまそこに手をかけてしまった。
それが僕の中で大きな影を落とすことになります。
僕は望んだ強さを手に入れることができないまま、
賞だけ取っちゃったのです。
あかんよね。
たぶん、翌年同じようには出場できないくらいは難しい話ではあるんですが、偶然が重なりで手が届いてしまったことに割と絶望してしまったんですよね。
これは終わってしまったかもしれない。そう頭によぎりました。
モヤモヤしたまま、災害現場に戻ります。
おそらくですが、会社側で僕らの働きかたが異常だということになったんでしょうね。(おせーよ)
そのプロジェクトを撤退することとなりました(確かそうだった)
申し訳ない気持ちもありつつ、引き継ぎして次のプロジェクトに向かうのでした。
(ちなみにその5年後に発生した次のリプレースでも大炎上したらしいですよ、こわいよね)
仕事もプライベートもややモヤモヤしたまま福岡へ戻りましたが。
しばらく何もする気が起きなくなるなど気持ちの異常が続き、
その日を迎えることになります。
朝、目が覚めたら「金縛り」にあったんです。
感じたままのことをお伝えします。
首から下が動かない。むしろ感覚がないくらい。
やばい気がするなーと
徐々に感覚が掴めてきます。
そこでようやく気づきます。
これは腰の疼痛(腰が超痛いってこと)であると
痛すぎて感覚がおかしくなっていたんですね。
朝起きたら腰痛ってどういう状態?????
おそらくはこれまでの全ての疲れが腰を暴発させたんだと思います。
ぎっくり腰の部類にはいるんでしょうけど、
「椎間板裂傷」とその時は言われました。
椎間板ヘルニアですよね、これ。
もう治らないと。
僕の人生そうなるんだーと。
そこから半年くらいですかね。
腰痛を抱えながら仕事して、歩くのも困難でという状態。
初めの頃はプライベートでは妻が付き添ってくれてようやく歩けるみたいな感じでした。
そこから、ある整骨院に出会っていまのようになんとか動けるまでに回復するわけですが、
武道からは離れることになり、10年という時は残酷です。
見事に中年太りの普通おじさんの完成です。
その間、僕は会社員をできなくなるという恐怖と戦うため、
いざというときのために副業に勤しむというフェーズに入っていくのでした。
いまだ芽はでませんけどね。
今回は、10年前何が起きたのかを振り返りました。
意外といろいろあるものですね。
いろんなことに運がいいとは思いつつも、
運が悪いとはあんまり思わないです。
腰痛とかたんなる不摂生ですもんね。
皆さんは10年前何をしていましたか?
その時の出来事が、今日までの10年間に影響を及ぼしましたか?
そうであるならば、
今日という日にやることが、
今この瞬間の一挙手一投足が
これからの10年に影響があるかもしれません。
なーに、いうて僕もいつも通りです。
あなたもいつも通りのあなたでいてくださって大丈夫です。
だけども、
ここまでnoteを読んでくださったあなたに
これからの10年ちょっといいことがあることを僕は祈っています。
いつもありがとう。
また10年後に答え合わせしような。
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