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過去の自分の捨て所

いろいろと端折るけど、約1ヶ月ぶりにウサギと会いました。
なんだかんだ高校生の頃から実家に顔出してくれたり、大学生の時に実家を離れて、初めて一人暮らしをしていた田舎のアパートなどにも、事あるごとにちゃんと遊びにきてくれていたウサギ様。先週末、付き合ってから初めて、ボクが住んでいる都会のお家にもきてくれました。

久しぶりだけど会えば会ったでこの調和の取れたフィーリングがとても心地よくて、変にお互い干渉し合うこともせず、chillな感じで2日間を過ごせたことに、私は今更驚いていました。

生きているこの世の中にどこか反骨心を持っている君の姿に私はとても共感して、まるで自分を見ているようだと思った瞬間、なんだか胸がグッとなりました。

立ち寄ったラーメン屋さんで注文を待つ間、ふと隣を見てみたら私と全く同じ姿勢でラーメンを待っていた君の姿だったり、さよならした後、私が仕事から帰ってきて誰もいない部屋の電気を付けたら、ベッドで静かに眠っているぬいぐるみがいて。その瞬間ふと君がいた残像をあちらこちらに感じて、私も元彼にそんなことしてたなぁなんて思ったりして、彼の寝ている姿も好きな曲もウサギのその生き方に対してのスタンスも、全部、私だった。散々ふざけているように見えて周りのことを気にしすぎている君が愛おしくてたまらなかった。

たった2日間しか一緒にはいられなかったけど、私が似たのか、君が似たのか、なんか、君となら多分ずっと一緒にいられるかもなってちょっと思った。正直毎週末恋人と会って、デートして、一緒にいるのが当たり前的な恋愛が多かったけど、私もそれで良いって思ってたけど、なぜか毎回、別れた後に「やっと開放された…」って思ってしまっていた。一方でそうゆう付き合い方をしないと不安でたまらなくなる自分もいた。もう誰と付き合っても上手くいかないんだろうなってずっと思っていた。

でもウサギのその感じが、面倒臭い時は面倒臭いで良いんだよ、みたいなスタイルが、意外にも自分に合っているのかもしれないと、感じた。もちろんそれって絶対的な信頼関係の上で成り立っているのかもしれないけど。
今まで絶対に私の方が彼のことを好きだという気持ちが強いと思っていたけど、今回会ったことによって意外にもそうではないのかもしれないと、お互いがお互いに自分の方が強い気持ちを持ってると思い込んでいただけなのではないだろうかと感じた。

なので、やっぱりここはウサギを信頼することで、シンプルに好きと思える関係を築くことができるんじゃないかなぁ、なんて思って。もちろん今後、将来を一緒に歩んでいくとなれば、その時はしっかり考えなければならないとは思うけど、私は相手ありきの自分でいたくないし、それはきっとウサギもそうだと思うし、でもそんな強気で生きていけたらカッコイイけど、僕も君も本当は弱々なんだよね笑。

でもそれをお互いに知っておくということも大事だと思うし、どんなことが自分の周りで起ころうが、ウサギへの気持ちは変わらないんだよって言うのを分かっててほしい。きっと彼は十分に分かっていると思うけど。そして僕も分かっているんだけど、まだそんな自分を受け入れきれていないところがある。
客観的に見ているこのスタイルが、割と今ちゃんと現実で起こっている本当の事柄なんだろうなって分かってはいるのよね。だから本当は何も心配することがないんだけど、それじゃあ今まで自分が傷つかないように保っていたウサギへの対処の仕方というか、好きだけど騙されたらいけないんだよって散々言い聞かせてきた自分はどこに行ってしまうんだろうと思って。

ウサギのことはもちろん大事なんだけど、それは大人になったから素直になれたことであって、今まで私に寄り添ってきてくれた私という存在を、なかなか捨てきれずにいる自分もいるんだよね。故に病む。

今だけを見ると何も問題がなくて、十分に幸せなんだけど、そうじゃないと思った時に大丈夫だって言い聞かせてきてくれた自分に、私は大丈夫だよって言える段階ではないというか。
でもまだウサギと付き合って1ヶ月くらいしか経っていないし、いくら関係性が長いと言っても、ちゃんと基盤となるものを作ってから前に進んでいきたいなぁとは思ってる。今日の私、なんだか落ち着いている。

なんか人生いろいろ大変だけど
人間関係だとか、環境の変化だとか、そうゆうこと以前に、人生とは自分との戦いなんじゃないかなって思った、そんな月曜日だった。

ここまで読んでくれてありがとう
おやとぅみ

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