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幸福には、「考えないこと」が重要なのでは!?

友人の本『考えない論』、これがものすごくおもしろい。

結論としては「考えない時間=空白、無意識の時間」が大事だと。この時間、たとえば「禅」の無とか、日本の武道みたく体が覚えるとか、ブルースリーの「考えるな、感じろ」のほうを言ってる。一見、その空白はなくてもなんとかなるんじゃない?とも思うが、本を読んで、ものすごく重要なのではと思えてきた。ちなみに脳部分で指すと、生命や感覚をつかさどる「脳幹」のほうで、理性や考えることをつかさどる「大脳皮質」じゃないほう。

例えば、動物は自殺しないが、これは大脳皮質が発達してないから。自殺は悲しいかな、理性や考えることのできる人間にしかありえないこと。人が時間にきっちりするのも、未来を考え逆算できる大脳皮質があるから。逆に、「心が躍る」とか、感覚的な「好き」「楽しい」、「五感」を感じるのは、脳幹のほう。
日本一幸福な時代だったといわれる江戸時代、この頃は基本的に皆貧しいが、その日がよければよし、未来への大きな不安も持たず、みんな毎日を生き生きと暮らしていた。時間に縛られることなく、感覚が第一で動く彼ら。当時は外国人に「日本人は時間にアバウトすぎる!」と言われたほどだそう。現代の日本人時間からすると考えられない。それは、明治以降にしっかりと時間規定が定められ、そこで変わったようだが、脳幹と幸福はリンクするのでは、と。

「大脳皮質」は、あくまで何かを考えて比較したり、未来を計算した結果で思うこと。となると、瞬間に感じる「幸福感」というのは、まさにこの脳幹でしか感じ取ることができないものなのではないか。さらに言うと、「本当の好きを見つける」ようなことは、「脳幹」のほうが働かないと、難しいのではと。

欲張りな私は、物事は全て「足し算」で考えてしまうのだが、「幸福感」や「好き」の感覚を大事にするために、余白をつくり、考えない「引き算」も大切にするべきなのではと思えてきた。それは、「受け取る脳」ともいえそう。


面白かったのが、インドネシアの話。庶民の音楽でダンドゥッドというのあるが、体をくねくねさせて踊る歌、この歌詞はこんなのだそう。
 「考えちゃダメ、考えちゃダメ、考えすぎると狂っちゃうぅぅ・・
   セダン型の車、家、あれもこれも、ぶっしつてきなもの・・・  
   欲しい、欲しい・・・切りがないので考えすぎてはだめよ、  
   考えすぎると狂っちゃううぅぅ・・・」
貧困層に向けての庶民の歌のようだが、彼らは墓を掘りながら冗談を言い合ったり、生と死が身近にある場所で助け合い、その瞬間を楽しく生きる人たちだそう。明らかに、物質的な欲求、考えることが人を狂わせることをわかっているのだ。


変な話、自分自身、幸福を感じることや作り出すことにおいては上級者だと思っていた。しかし最近、そのスキルが成長するなかで、時に足りなさや行き詰まりを感じるときもあり、その理由や打開策を考えていた。が、ヒントはここにもありそうだ。「引き算」思考もして、感覚脳を強くしていこう笑。


『考えない論』※今はkindle版のみみたい笑
https://amzn.to/384No1v

※脳の専門家の方から見ると、間違いたくさんあるかもですが・・・
 ご教授だけますと幸いです!




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