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長夜の長兵衛 桜始開(さくらはじめてひらく)

花時はなどき

 久兵衛きゅうべえの手にある黒塗りの横笛を、お天道様が撫でていく。うららかな日和に、川べりをゆく足取りも軽くなる。
 ひとつふたつ、いやみっつ。
 開いたの。目を細めて桜を見上げ、そこに腰を下ろした。
 おのずと半眼になる。吹くのでなく、笛と共に息をする。己が鳴らすのではない、ただ、笛に委ねていくのみ。
 音に包まれると次々と花が開き、みるみる満開となる。水鏡は桜色を映し、水紋はすべるように流れて、彼方まで久兵衛を連れてゆく。

 家へ戻り、丁寧に笛をみがいていると幼馴染の金兵衛の声がする。
 久兵衛、聞き惚れたぞ。
 久兵衛はちょっとはにかむ。かかあが、褒めてくれると良いがの。つれあいのものであった笛を、仏壇に戻すと手を合わせる。
 こう、ひとつ、上がったのであろうな。金兵衛が身ぶりで長いきざはしをつくる。
 稽古を始めてそろそろ八年。わしの花時かの。
 二人で笑い合う。

 後ろに控えていた長兵衛が、恭しく包みを差し出した。
 久兵衛は破顔し、桜餅に手を伸ばす。

<了>

 

photo AC  by 一点


「桜始開」今年は三月二十五日から二十九日 
遅れがちですが、追いかけてまいります!


 こちらからは、ビューワー設定により縦書きでご覧いただけます。
 また、以前に執筆しました二十四節気の物語と、今回の七十二候が順に並んで出てまいります。
 長兵衛をお楽しみいただきやすくなっているかもしれません。



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