長夜の長兵衛 天地始粛 (てんちはじめてさむし)
桃
銀兵衛は山へ柴刈りに。
まとめたものを背負い下ってゆくと、辻の地蔵さんが暑そうにしておられる。せめて埃だけでもと、腰の手拭いを外して払って差し上げる。
蜻蛉が日に日に赤くなる。
しゃがんで手拭いをゆすいでおると、川辺にもこうして秋が集うてくるのが見える。
おや。
上流からゆっくり、何かが流れてくるのである。目をこらすと、大ぶりな桃の実のようで。
―どんぶらこ、どんぶらこ
錐の先のようなものが胸の奥に差し込まれてくるのはなぜか。
そうだ確かにそんなひと時が。母様や婆様の膝で一緒に唱えた昔が、わたしにもあったような。
銀兵衛は思わず立ち上がると、桃の方へ手を伸ばす。
ならぬ、それは鬼だ。
低い声に銀兵衛の動きが止まる。
桃はそのまま岩まで流れ、木っ端微塵に砕け散った。
桃太郎など、おらぬ、と地蔵さんが。
濡れた手足に風があたると、もう随分と涼しいのだな。
銀兵衛は呟く。
長兵衛はその様子を見届け、桜の古木の陰から姿を消した。
<了>
pixabay by Noel_Bauza
本年の天地始粛 は、8月28日〜9月1日頃。
こちらの企画を大いに楽しませていただいたところですが、「桃」が初秋の季語であるのは、もう天啓ということでせう。
こちらからは、ビューワー設定により縦書きでご覧いただけます。
また、以前に執筆しました二十四節気の物語と、今回の七十二候が順に並んで出てまいります。
長兵衛をお楽しみいただきやすくなっているかもしれません。
お気持ちありがとうございます。お犬に無添加のオヤツを買ってやります。