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不出来な弟を愛す(ちばあきおの世界)

庇護する兄と庇護される弟

 『キャプテン』『プレイボール』により、小学館漫画賞(1977年度)を受賞したちばあきおは、『あしたのジョー』や『のたり松太郎』で知られるちばてつやの実弟である。ちば家は4人兄弟で、てつやは長兄、あきおは三男にあたる。兄弟の父が戦時期に満州で仕事をしていたため一家そろってその地で暮らしていたが、終戦直後には社会的混乱に巻き込まれ、生と死が隣り合わせの苛酷な生活を強いられることになる。敗戦国民である日本人に対する暴動や略奪が頻発する状況下、一家は父の同僚の中国人にかくまわれて屋根裏部屋で生活していた。そのような不安が続く日々の中、長兄てつやは屋根裏で漫画を描いて、怯える幼い弟たちを慰めていたという。長男としての責任を背負って一家を支えるしっかり者の兄と、兄の庇護の中にともすれば蹲りがちになりながらも先行者である兄を慕い敬う非力な弟。このような対照的な二人の姿に、兄と弟それぞれの作品世界、マンガ史におけるポジション、それに才能の有無という残酷な現実が、原型的に反映されているようだ。

 ちばてつやの作品には魅力的な兄貴分的存在を主人公にすえる作品が多く、例えば『ハリスの旋風』の主人公である喧嘩が滅法強い石田国松には、実の弟であるアー坊のほかに気弱な弟分の通称メガネが常に傍らにいる。ゴルフ漫画『あした天気になあれ』の主人公向太陽は、早くに父を亡くし、食堂を経営する母親と二人の弟や妹たちを支える父親代わりの役わりを引き受けている。こうした人物設定に終戦直後の混乱期において一家の危機を救おうと奮闘した長男てつやの責任感を重ねることができそうだ。また、ちばてつやは、日本の戦後漫画史において、長兄のポジションにいた。

 一方のちばあきおは兄てつやのアシスタントを経てマンガ家としてデビューを果たすが、兄の作品と異なるところは兄の作品であればわき役にまわる気弱な弟分的存在を主人公にすえたことだった。あきおの代表作『キャプテン』の谷口タカオは、弟分的存在の人間が「キャプテン」というアニキを演じさせられた特異なキャラクターなのである。

先行者の兄と後発者の弟

 トキワ壮の連中とほぼ同時期に活動を開始した兄てつや(石ノ森章太郎とは一歳違い)は、マンガ第一世代といってよく、様々な分野のマンガを描き、黎明期の少年(少女)マンガを支えた。1961年に連載が開始された『ちかいの魔球』(原作福本和也)は、スポ根マンガの金字塔『巨人の星』の元ネタともいわれている。とりわけ時代の歌を見事に背負った作品『あしたのジョー』――『巨人の星』と同じく原作は梶原一騎――は、ちばてつやの永遠の代表作といってよく、60年代という時代の肉体の核心と交叉した僥倖は表現者の栄光そのものだと言っても過言ではない。

 1968年に始まった『あしたのジョー』の連載が終了をむかえるのは1973年の春のことだが、あきおの『キャプテン』の連載は1972年から開始される。時代の表舞台から矢吹丈が去り、ジョーと入れ替わるようにして谷口タカオが登場する。スポ根第一世代と第二世代の交代劇は、ちばてつや・あきお兄弟によって演じられた。とはいうものの、この交代劇は、後発者が先行者を過去のものとして葬り去ったという性質のものではない。後発者のタカオ=あきおは、先行者のジョー=てつやの記憶を濃厚に脳裏に刻み込んでおり、先行者への溢れんばかりの思慕と愛着を胸に抱え込んでいる。ジョー殺しが本格的に始まるのは1980年代からだが、70年代前半においては『あしたのジョー』の余熱はまだ時代の中にあった。

 80年代のジョー(あるいは飛雄馬)殺しはジョー(あるいは飛雄馬)と血のつながらない者たちによって行われたが、ジョーとタカオは同じ血あるいはDNAを共有し合っていた。ジョーとタカオが共有した血(DNA)とは、キリスト教的マゾヒズムとでも形容されるような気質である。

イエス・キリスト的肉体

 日本の戦後文化史を舞台で上演されるオペラに見立て、戦後の表現(小説、詩、演劇、舞踊ほか)で描かれた肉体の様相の変化を辿った興味深い論考に、小林康夫の『オペラ戦後文化論1』がある。坂口安吾の「白痴」から石川淳の「焼け跡のイエス」を経て、1968年10月日本青年館で上演された土方巽の舞台における、三本のロープによって舞台上方に吊り上げられ「昇天」のイメージを演じた土方の肉体に着目して、小林は次のように述べる。

 土方は、――もはや「純粋行為」ではない――むしろヨーロッパ的でもあるような踊る肉体を出現させた。そこに、もちろん土方巽のダンスの出発点が「ノイエ・タンツ」にあったことを思い出してもよいのだが、そうした個人的な次元を大きく超えて、――われわれのオペラの前半がそのアスペクトを強調していたはずだが――戦後日本の「肉体」は、じつは、イエス・キリストのイメージに収斂するきわめてヨーロッパ的な「肉体」にこそ起源をもつのであった。

『オペラ戦後文化論1』

 小林は土方巽の舞台を「犠牲の儀礼」と呼ぶのだが、日本の戦後マンガにおいて「犠牲の儀礼」を深く力強く描いた作家としては梶原一騎の名がまずあげられるだろう。もともと梶原は血筋的にキリスト教と強い親和性を持っていた。梶原の祖父・高森貞太郎は阿蘇に生まれ、複雑な家庭環境のような苦労の末、同志社大学を卒業し、旧制中学の英語教師となった。貞太郎に思想的影響を与えたのが、熊本の幕末思想家・横井小楠および、「札幌、横浜のそれとともに日本のプロテスタントの三源流の一つに数えられる「熊本バンド(団)」(『梶原一騎伝』斎藤貴男)であった。祖父・貞太郎の思想の根底にはキリスト教があり、梶原の父もまたクリスチャンであった。

 そのような血筋の梶原の世界観にはキリスト教的な血が濃厚に通っており、彼の描くスポ根の主人公たちは、しばしば言われるように、努力と根性で高度成長を成し遂げるというよりも――そのスタイルを体現しているのは星飛雄馬の敵役であった速水譲次であろう――キリスト教的犠牲への躊躇なき邁進の実践者であろう。彼らは世俗的成功には距離を置き、それへのアンチであるような聖なる世界へと生き急ぐ。梶原作品で強い印象を残すのは、登場人物たちが演じる数々の「犠牲の儀礼」である。『タイガーマスク』の伊達直人は、ファイトマネーを「虎の穴」に上納せずにすべて孤児院へと贈与してしまう。星飛雄馬は、家庭にわけありの高校の先輩の身代わりとなって、無実の罪をかぶる。あるいは飛雄馬のために手の指に致命的な傷を負う新宿の女番長京子。『巨人の星』の最終カットは、ライバル左門豊作と京子の結婚式を川崎市内の教会の窓の外から見届けた飛雄馬の、教会から歩み去る後ろ姿の背に夕陽を受けた教会の十字架の影が重なり合うというものであった。梶原作品にあっては、メイン・キャラクターたちはそこかしこで犠牲を引き受け、作品世界に聖なる風を送り込む。有名な「大リーグ・ボール養成ギプス」や「火の玉ノック」は、来るべき「犠牲の儀礼」のための予行演習に思えてくるほどだ。

 このようなスポ根第一世代のキリスト教的マゾヒズムの気質を谷口タカオも確実に引き継いでいる。タカオがスポ根の主人公でいられるのは唯一そのためだと言ってよい。『キャプテン』や『プレイボール』を語る者たちは口をそろえて、タカオたちの猛練習や努力のことに言及するが、彼らは勝利そのものを目指しているわけではなく、スポ根第一世代のDNAの正体を目敏く見抜き、まもなく消滅するであろうこのDNAの寿命をなんとか延命させようと、必死の儀式を演じていたにすぎない。1970年代前半には消えかかっていた「イエス・キリスト的肉体」を模倣し反復することで、摩滅してゆくそれを復活させようと祈りの儀式を執り行っていた谷口タカオという特異な人物に、周囲の者が感染し同調していたというのがことの真相であろう。1970年という特定の年を境にして、肉体を巡る状況はがらりと変わってしまったのである。

1970年以降の風景

 小林康夫は、『オペラ戦後文化論1』の冒頭において次のように言っている。

 少しく詩的に言うならば、わたしは、激しい「風」にさらされた「肉体」の「季節」としてその「時代」を感覚していたのだが、七〇年の前後に、その「肉体」が死んだと言おうか、あるいは内側から破裂した、あるいはただ単に消え去ってしまったと言おうか、いずれにしてもその「終り」についての強烈な感覚を刻まれている……

『オペラ戦後文化論1』

 1968年をピークに、切断、破壊といった語彙に彩られた政治の季節は終焉をむかえ、それに代わって、経済活動がすべての価値の中心に位置するようになる。日常が回帰し、「いま・ここ」を超える超越的な風景への感性は消え去った。思えば、星飛雄馬が見あげた夜空に輝く「巨人の星」にしろ、矢吹丈の「あした」にしろ、それらは空間的にも時間的にも「いま・ここ」の向こう側にあると想定された崇高な輝きを帯びた世界であった。1970年という時間は、『巨人の星』にも『あしたのジョー』にも作用した。1970年を過ぎたころから『巨人の星』は重苦しい停滞感を帯び、飛雄馬はデカダンな頽廃を身に纏って夜の街を彷徨する(女番長京子と出会うのはそのような状況においてである)。『あしたのジョー』では、1970年に力石徹の死の場面が掲載され、それを契機に矢吹丈は転落し、地方の縁日での興業ボクシングをドサ回りするようになるだろう。

 1970年を過ぎると、聖なる時間は消滅し、それとともに天才のオーラを纏ったヒーローたちも姿を消した。日常的な時間が周囲に広がり、輝ける才能を欠いた凡人だけが残った。それがちばあきおに手渡された与件であった。そのようなショボい風景は、意外にもあるいは当然にも、あきおの素朴さや優しさとは波長があった。凡庸とダサさの重力が作用する世界と同調しつつ、前の時代から受け継いだマゾヒズムを手放すことなく、それを彼特有のやりかたで磨き上げることで、ちばあきお=谷口タカオは三流のオーラとでも形容するような鈍い輝きを放ったのだった。

 魔球を開発する才があるわけでもなく、怪物じみた打力があるわけでもないタカオは、右打ちに徹するとか二遊間をねらうとか、あくまでも凡庸な日常に沿いながらの糞リアリズムを方法論とする。ちばあきおが当時のスポ根に導入した画期性はこれだった。「努力は裏切らない」という身もふたもないリアリズム(あるいはファンタジー?)を、一片のシニシズムなしで描ききることで清新な風を吹かせることに成功した。

 とはいえ、タカオのいぶし銀のようなリアリズムの根底には、スポ根第一世代の過剰なマゾヒズムが流れている。ちばあきお=谷口タカオはスポ根第一世代の記憶で頭をいっぱいにしているが、周囲の者はすでにその記憶を失っている。それが時として周囲との齟齬となって緊張した空気を生んだりする。たとえば、『プレイボール』の舞台となる墨谷高校野球部がタカオの加入によって創立以来初の2回戦突破を果たし、3回戦の対戦チームである強豪シード校東都実業の練習を偵察するべきだとタカオが主将に提案する場面。「東実に勝とうだなんて考えは捨てるんだな」と、主将は、どうやら本気らしいタカオを諌め、自分たちの地平から足を離しそうな気配を漂わせるタカオにくぎを刺す、「まさか、おまえだって将来、野球でメシをくおうってんじゃあるまい」。険悪な雰囲気になりかかるのだが、タカオの眼を覚まさせる意図で主将は、タカオの東実偵察につきあうことになる。そこでもタカオは熱心にメモを取ったり、帰りがけに立ち寄った飲食店で「東実にくいさがりたい」という意味のことを口にして、とうとう主将を怒らせることになる。スポ根第一世代の記憶を捨てられない者とその記憶を手放した者の対立が顕在化したかたちである。現在なら、タカオはKY扱いされ、陰湿ないじめの対象となるであろう。けれども作者ちばあきおは、タカオを残酷に孤立化させはしない。タカオの傍らに優しい兄を配置し、タカオに母性的な環境を用意する。

スポ根DNAを慈しむ兄

 とりたててあえて厳しくするわけではないのだが、それでもどうしたって厳しい裁定とならざるを得ない。器量は悪いし、体格にも恵まれておらず、口下手でもある。商業マンガ誌で主役を張るには決定的なまでのオーラ不足である。あえて言えば純朴さだけは身につけているようだ。それだったら拾うだけは拾ってみようか。生来の善意から、ひょんな関わりを持ってみると、拾ったタマはなかなかたいしたタマで、一瞬のうちに輝きを放つ芸当は皆無だが、長い長い時間をかけてつきあってみると、底光りするような何とも言えない魅力を放つことがわかり、そうなると心の大部分を持っていかれてしまい、たんなる先輩後輩の関係は、いつのまにやら恋人同士よりも別ちがたい兄弟のような心情になってしまっている。そして弟の方もまた自分一人では解決できない困難を、協力者の力を得て乗り越え、潜在する才能を開花することができる。

 『キャプテン』『プレイボール』の素晴らしさは、単独のヒーローとしてみればマイナスのカードを持ちすぎる人間たちが、マイナスの状況にシニカルな態度を取らずに、ポジティヴな打開策を模索する様を、劇画の攻勢にあう以前の草創期の少年サンデーのような素朴で優しい絵柄(ある意味では素人くさく、ちばあきおの力量不足が露呈しているとも言える)で描いたところにある。中学時代の死闘とも言える激しい試合で利き手の指が曲がってしまったタカオは、最初はサッカー部、ついで野球部へと移り、指がダメなら代打要員、ボールがまともに投げられないなら、ゴロで投球し、それを受け取る先輩たちはおかけで守備能力が上がってしまうという、うそのようなご都合主義で勝利をつかみ取る。ここには「不細工な顔→キモメン」というスクール・カーストの回路はない。世界の悪意が発動する機会が周到に遠ざけられている。そのような世界だからこそ「努力は裏切らない」という牧歌的な歌を歌うことができたのである。その歌い手に谷口タカオはうってつけの人物であった。その歌を世界に響かせるためには、優しく力のある兄=先輩が必要であった。

 『プレイボール』開始のサッカー部における主将とのエピソードはとりわけ印象深い物語となっている。『キャプテン』でタカオをキャプテンに指名する中学時代の野球部主将と瓜二つの容姿を持つサッカー部主将は、惚れた男の真意がどこにあるかを知った女がヒステリックに逆上するような態度で野球少年タカオに入れ込むことになるが、興味のある方は原作でその熱い世界を確かめていただきたい。ところで先に述べた東都実業と墨谷高校の試合は、タカオの熱意に主将と部員が感染してしまい、本気で試合に臨み、12対10の大接戦の末敗れた。

 『キャプテン』『プレイボール』の谷口タカオの姿を見ていると、かつて蓮實重彦が映画監督のルネ・クレールを追悼するさいに発した言葉を思い出さずにはいられない。

 誰もが凡庸なのだから、最良をめざすことは断じて屈辱的な試みであってはならない。

「ルネ・クレール追悼」






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