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司馬遼太郎の古くて合理的な身体

ローテクノロジーの懐かしさ

 司馬遼太郎のライフワークのひとつに「街道をゆく」という有名なシリーズがあって、それは全43巻にもおよぶ。司馬のご当地紀行は、日本のみならず、アジアのモンゴルや台湾、あるいはヨーロッパのパリやアムステルダム、アイルランド、そしてアメリカ、ニューヨークまで広範囲にわたる。それは歴史書というよりは、一種の見聞録に近く、司馬の分析および歴史に対する想像力は、具体的な風物と結びついていて、ドキュメンタリーフィルムを見ているような気にさせられる。言いかえれば、司馬の知性は、司馬自身の身体感覚からけっして離れることはない。「私は不幸にして自動車の走る時代にうまれた。が、気分だけはことさらにそのころの大和人の距離感覚を心象のなかに押しこんで、湖西の道を歩いてみたい」(「湖西のみち」)というように。そのような司馬の習性は、大阪庶民の薬剤師の子として生まれた自身の出自に由来するものなのであろう。司馬は言っている。

 ただ、大阪には物事を論ずる場合に、具体的に論じていくという思考法がある。自分が手で触ったものしか論じない。論理で把握したもの、抽象的な思考で得たものを論じたがらない、そういうところがあります。

『手掘り日本史』

 事物に触れている手。大地と接触している足。そうした堅固な具体性に支えられた司馬の思考や判断力はあくまでも真っ当であり、健全である。それは横町の博識家のおじさんの鋭くヒューモアに満ちた見識のようであり、司馬の国民的人気はこのような生活感覚に由来するものであるのだろう。

 司馬の言葉はわかりやすく、なおかつ深くて含蓄に富む。そこには本来的な意味での良識の輝きがある。司馬は心身ともにあくまで健全である。志にあふれる職人の手仕事を見るような司馬の言葉は、ローテクノロジーの魅力なのだ。そこには昭和の懐かしさが匂い立つ。とはいうものの、逆に言うと、司馬の言葉は、司馬の肉体そのものに限定されてもいるのだ。いくら勘が良くても、電子顕微鏡でなければ見えないミクロの世界に対しては、肉眼では分が悪いし、身体感覚のみに頼っていれば「地動説」はつかめず、「天動説」に閉じ込められるばかりだ。

 また、健全な男の身体のことはわかっても、女の身体のことはわからない。ましてやLGBTと呼ばれる性的マイノリティのメンタリティや生理のことは理解できまい。おそらく司馬はLGBTのことはよくわからなかっただろうし、偏見から免れえなかっただろう(司馬の生きていたころは「LGBT」という言葉すらなかった)。近代文学元祖LGBTとも呼べる稲垣足穂などは異星人にしか見えなかったであろう。稲垣と言えば「抽象志向と飛行願望」に見られる「天上」への肉体的傾斜が特徴となるが、これほど司馬の肉体から遠いものもまたとあるまい。

北方系と南方系、あるいは切断性と連続性

 商人的手仕事を中心に据えた司馬の合理的肉体は、現実原則や快感原則という無意識の働きには明察をもって対応することはできても、不合理的な肉体の動き、言いかえれば、無意識における「タナトス」のような形而上的なものを希求する人間の非商人的なメンタリティに対しては盲目にならざるを得ない。いたるところで、司馬は「天」に対する回路の遮断を表明しているが、ここでは三島由紀夫の自決事件に対する司馬のコメントを見てみよう。「三島氏の狂気は、天上の美の完成のために必要だった」と美の殉教者としての三島像を差し出しながら、司馬は、吉田松陰と三島を思想上の双生児として並べる。

虚構を現実化する方法はただひとつしかない。狂気を発することであり、狂気を触媒とする以外にない。要するに大狂気を発して、本来天にあるべきものを現実という大地にたたきつけるばかりか、大地を天に変化させようとする作業をした。当然、この狂気のあげくのはてには死があり、松陰の場合には死があった。松陰は自分のゆきつくところが刑死であることを知りぬいてみずからの人生を極度に論理化し(松陰は自己陶酔者ではなかったから美化ではない。しかしその道程と結果は似ている)人生を論理化したあげく、彼自身が覚悟し予想していたごとく、異常死へゆきついた。(「異常な三島事件に接して――文学論的なその死」

『司馬遼太郎が考えたこと5』

 「天」のようなメタフィジカルなものへと向かう無意識の衝動を、司馬は障壁を立てて禁じる。精神と肉体の間には厳然とした境界線があるのが、司馬の思考の癖である。そのような司馬のメンタリティの傾向は、風土的には、北と南の対立としてあらわれる。


 雪国越後の藩士で幕末に閃光を放った河井継之助を描いた『峠』では、河井は武士道の美意識に殉じた典型とされる。『峠』では「自分を狂人に仕立てようとしていた」とまで書かれている。

 司馬は、たびたび、自分は北方のメンタリティがわからない、坂東武士が異常に見えてしかたがない、と発言する。司馬の心象地理感覚には「北と南」や「東と西」における対立軸が明らかにあって、たとえば「日本の古代以来の文化は、氏族性で代表される北方的要素と若衆組で代表される南方的要素」があると述べている(「熊野・古座街道」)。また、北や東は父権的だが、南や西は母権的だと言い、それゆえ北は厳格だが南はおおらかだという意味のことを述べている。じっさいの北と南や東と西がこのようにくっきりと分類されるかどうかはわからないが、心のメカニズムにはよく当てはまるようだ。北方は、有名な精神分析家のジャック・ラカンがいう「象徴界」に対応しているし、南は「想像界」に対応している。

 ひきこもりやオタク文化に詳しい斎藤環は、ラカンの図式を彼なりの言葉で次のように解説している(『生き延びるためのラカン』)。

 ところで、ラカンがそうはっきり言っているわけじゃないけど、僕が思うに、人間の心には「連続性」と「切断性」という、少なくとも二つの志向がある。たとえば、愛する人とくつろいだ時間をすごしたり、気のおけない仲間たちとビールでも飲んで盛り上がったりしたい気持ちって、誰でもあるよね。でもその反面、付き合いにわずらわされずに一人きりになりたかったり、悩み事をとことん一人で考え抜いてみたいと思うことだってあるだろう。つながりたい気持ちと、断ち切りたい気持ち。愛と憎しみ、肯定と否定、受け入れと拒否、ほめることと批判すること、信ずることと疑いこと、このどれもが、連続と切断という相反する心の働きにもとづいている。(略)実は、ここで僕が言っている「連続性」と「切断性」というのは、フロイトが発見した「生の欲動」と「死の欲動」にかなり重なる。(略)実は人間が言葉を語る存在として象徴界へ入り込んでいくというなりゆきにも「死の欲動」が強く作用している。死の欲動のおかげで象徴界に参加し、その中でエロス的欲望を追求するのが僕たちの人生だ。つまりエロスとタナトスは、メビウスの輪のようにつながりあっているんだね。

『生き延びるためのラカン』

 ここで斎藤環は、図らずも司馬の盲点をつき、それを批判している。エロスとタナトス、天上と地上、あるいは北と南は、「メビウスの輪のようにつながりあっている」はずなのに、司馬の思考や体質はそれを認めない。つながりあっているはずのものに、司馬は境界線を引き、抑圧的なふるまいを演じている。先ほど引用した三島事件についての文章で、司馬は次のようにも書いている。

 われわれ大衆は自衛隊員をふくめて、きわめて健康であることに、われわれみずからに感謝したい。三島の演説をきいていた現場自衛隊員は、三島氏に憤慨してヤジをとばし、盾の会の人をこづきまわそうとしたといったように、この密室の政治論は大衆の政治感覚の前にはみごとに無力であった。

『司馬遼太郎が考えたこと5』

 私が司馬に違和感を覚えるのはこのような箇所に対してである。はたして司馬が言うように「われわれ」は「健康」であるのだろうか?ここにあるのはエロスとタナトスのつながりを断ち切った「健康」さを装った「不健康」ではないのか。「大衆」という言葉をかっこうの隠れみのにして、不自由に加担する抑圧が演じられているのではなかろうか。

 おそらく司馬の肉体は合理的に過ぎるのだ。不健康なほどに。斎藤環は「エロスとタナトスは、メビウスの輪のようにつながりあっているんだね」と語ったが、「メビウスの輪」とはねじって作られるものである。司馬の合理性はこの微妙な「ねじれ」がとらえられないのである。斎藤と同じように、上野昂志も、司馬の合理的鈍感さに言及している。

 だが、逆に、司馬遼太郎の、関西商人的な合理主義に裏打ちされた向日性は、非合理を批判することはできても、その非合理に向かう信条のメカニズムや組織のメカニズムを内在的にとらえることを苦手とする。『竜馬がゆく』という作品でいうと、暗殺者たちの心理や観念にとりつかれて内向していくさまが描けない。べつな言い方をすると、悪が描けないのである。

『肉体の時代』

 上野の言葉は、司馬への根本的な批判であると同時に、非合理な肉体を失ったわれわれの時代に対する批評でもある。

経済成長という連続性

 上野昂志は、『竜馬がゆく』が高度成長真っ只中の60年代後半に広く読まれたことに着目し、そこに日本という社会の肉体的兆候を読み取っている。「それまでの幕末・維新に材を取った時代小説の主人公たちが、多く佐幕派の侍であったのに対して、司馬のこの小説は、武士でありながら武士であることを脱しようとしているものたちの物語であるということだ。侍から政治家あるいは商人への物語であり、竜馬はまさにその典型であったのである。彼は政治に奔走するかたわら、それを支える経済に絶えず注意を怠らず、貿易会社を興そうとする。いわば貿易立国を構想するわけだが、これぞ、まさしく高度成長に邁進する日本の現実ではないか」。

 ところで上野の『肉体の時代』は、TBSの『調査情報』誌に1980年から1985年にかけて連載された。サブタイトルが「体験的60年代文化論」であり、60年代の文化状況を追いながら、時代の無意識の姿をルポルタージュしたものである。末尾で上野はこう語った。

 六〇年代が、さまざまな制度から肉体が意識的、無意識的にはぐれだした時代であったとすれば、八〇年代のいまは、そのはぐれた肉体を改めて囲い込む時代なのだ。そして、この先には、電子的メディア環境における肉体の消滅と、生命科学による肉体の解体・再構成が目前の事実として迫っているが、そのとき、肉体において生きてきた人間はどうなるのか。

『肉体の時代』

1980年から1985年といえば、日本がグローバルな新自由主義の波にのみ込まれバブルへと向かう時代である。60年代にはあった「切断」の体験を喪失し、われわれは見事に経済という「連続性」の中に囲い込まれた。経済成長は連続性において実現するものである。連続性という神話からわれわれは逃れられないでいる。経済観、政治状況を見ればそれはわかる。「絆」ということばもそれを後押ししている(この言葉には誰も反対できずにいる)。こうした風潮に逆らうには、司馬を合理性の閉域から解放し、われわれの肉体に陰影を取り戻すしかあるまい。

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