「ブロックワード」の分析 ~過去にとらわれて行動できないあなたへ~

 唐突だが、このタイトルの言葉を聞いて何かを思い出す方はいらっしゃるだろうか。

 そう、「機動戦士ガンダムSEED DESTINY」に出てくる単語である。

 とある事情で生み出され、作品中の2大勢力の片割れ、地球連合軍の戦力を担っている強化人間(エクステンデッド)たち。彼らが暴走した際に、個々人に設定されたこの言葉を言う事で、それを聞いた彼ら彼女らが恐慌状態に陥り一時的に機能を停止する……といったものだ。
 うっかり「死」をブロックワードにすると戦場では何もできなくなるだろう、というくらいに頭を抱えて苦しむ、「SEED DESTINY」世界の強化人間たちにとってそんな「強さ」を持った言葉を、ブロックワードと呼んだ。

 前置きが長くなったが、今回は自分自身にいつの間にやら設定されていた(作中でこんな使われ方はおそらくされていない単語ではあるけれど)このブロックワードをようやく認知した、という話である。創作や人生において多くのマイナスを引き起こしていたガンのようなものを発見した、と思う。そしてこのブロックワードの思い込みを外すためには自己対話が必要であるという事も併せてお伝えしたい。
 

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(恐慌状態になってパニックになっている顔)

僕の「ブロックワード」一覧

・楽しさ:感じると「それでいいのか」と思う
・嬉しさ:感じると「お前だけが舞い上がってる」と感じ、火消しを行う
・安堵感:「相手はお前のことを騙そうとしている」
・安心感:「お前だけが安心しても意味がない、ワガママだ」と思う

​ 正直に言うなら、最近の自分は本当にひどいものと形容している。自分自身の好きな属性をかき集めて、絵や小説といった作品作りにおいての骨子づくりを行い、書き始めたと思ったらこの上の4つが起こってくるのだ。
 実際、これらに阻まれたことによってこのNoteも半年以上更新していなかったと懺悔しよう。

 「苦しく続けてもその行動を続けられないのは当然。なら楽しくやればいいじゃないか」という思考は当然あるし、さまざまなイラスト指南書や文法指南書、はたまた数多のキュレーションメディアにそう書かれている。それらがどうして自分に適用できないのかずっと不思議だったが、当然なのだ。「楽しさ」「嬉しさ」をそもそも感じてはいけない、感じるような方向に向かうな! ……そう自分自身にブレーキを掛けていたのだから。

ブロックワードを特定するために過去へと向かう

 ブロックワードの前提は、基本的に過去にある事が多いと感じる。特定のために、一度過去の生傷を掘り返してみる必要がある。これらを特定すれば、僕を含めて今まで何に振り回されてきたのかわからない人たちが、前に進むきっかけになるのではないか。
 そう信じているので、自分自身の事例を基に書いて行く事にする。

 僕の場合であるが、過去、自分がワガママだった(対人関係において、一人で舞い上がって相手の表情や感情について鑑みられていなかったこと)事実に対して強い後悔の念がある。母との関係、仲良くなった友達や、大好きだった女性との関係など。同じ事をまた繰り返してしまう可能性がある、そんなことは嫌だ。それなら、その可能性がある行動をする事はよくない……と思ってしまう。

総じて、自分が悪いことをした、だから幸せになってはいけないという事。

 楽しさや嬉しさなどを感じると、それこそ強化人間たちのように、焦りや困惑、恐怖を感じて行動がとれなくなってしまうのだ。
 当然それに伴い、アウトプットを作り続けているとこの楽しさを感じてしまうため、成果物を最後まで完成させることに対して消極的になる。
 実際、手を動かすと止まらなくなる。自分の事をもっと解き明かしたくなる。これが好きなんだ、って思うと嬉しくなる。でなければ、文を書くことにも絵を描いたりすることにもここまで捉われないし、とっくにやめてゲーム三昧をしているだろうから。

それでも「こんなことしてどうなるんだ」「誰にも顧みられない」と感じ、手が止まってしまう。楽しさや嬉しさを警戒してしまうあまり、「そっちに向かう行動」を心が邪魔する、と形容できるような状態に陥るのだ。

 幸せになってはいけない、という言葉自体はいわゆる「メンヘラ」と言われかねない感情のようだ。実際、今まで接した人間から皮肉や冗談交じりにそう言われたことは一度や二度ではない。

 今考えてみるとそんな失礼な人間からは離れて当然なのだが、当時の自分はそんな気にしなくてよい言葉にさえも怯えと恐怖を起こし、ますます精神的に引きこもっていったのを覚えている(たとえ本当にそう思ったあるいは感じても、直球にそう伝えるのなら関係崩壊のリスクを伴うだろう。過去の人たちがそう言ったということは、別に自分との関係が壊れても良いから放言したのだろう、という予測は立つし、気軽に冗談として扱える言葉のレベルを優に越している、と僕は思う)。

置いてけぼりの「過去の自分」の手を握る

 話を戻そう。自分の中のブロックワードを理解したなら、あとはその原因となる思い出や、付随してくる思い込みを、「うるさい!」と一喝する。

 そのためには、何らかの過去の事例にとらわれて戻ってこられなくなっている当時の自分の感情との「対話」が必要である。
 そして、対話の最期に、「見守ってほしい」と自分の感情に伝える。自分の感情は永久に自分から離れる事は出来ない。だから、不安で叫びだしたくなる気持ちを受け容れて、少しだけでいいから、行動させてほしい、とお願いする感覚だ。

「お前が好きな事やって誰が喜ぶんだ?」

 僕が例えば自己対話を行ってみた時、頭の中の自分自身がずっと聞いてきたのを覚えている。いつも心がそう言ってきて、目の前の何個ものアイデアを賞味期限切れで腐らせてしまった。
 想像できるだろうか。新しいことをやろうとしたり、何かを愉しもうとするときに毎回現れて僕自身を打ち据えようとするもう一人の亡霊のような自分。いつもいつも煩わしかった。だから、いい加減にこう言おう。

「うるさい!」と。

「誰も喜ばないよ。下手なお前の物を見てもだれも喜ばないよ。もうやめちまえばいいよ。だれもいない。だれも見ない。あの人も見ない」
「うるさい。だれも喜ばなくても、僕が喜ぶからいいじゃないか」
「お前は嫌じゃないのか。下手なものがこの世に生まれ続けることになる」
「数こなしてないんだから下手で当然なんだ。むしろ下手でも俺は今線を引いて、文字を打ち込んで、作り出そうとしてることが嬉しい。涙が出るほどに。だから今作っているものを最後まで作って、楽しさを享受したい」

 絵や文章、ひいては人間関係が下手なのは、まだ、不出来であるから。経験・行動回数をまだまだ積めていないからだ。
 不出来であるのは、自分がのろまであるのが理由ではない(そんなボヤけた理由づけこそ、自分からの逃避であることに気づくべきであった)。

「お前は喜んではいけないってどうして気付かないんだ! 罪なんだ! そうしちゃいけないんだ! 死にたいって思うんだろ、なら死んでしまえ!」

 下手でもやり続けないと上達しないので、やり続けたい。やり続けると、楽しさが湧いてくる。下手とか、上手とか、そんな概念がどうでもよくなってくる。そこにいつもお前は忍び込んできた。お前はずっと僕のそばで、無理だ、できっこないってつぶやき続けてきた。そのせいで足を何度止めたかわからないけれど、もうお前を責めたってどうしようもない。だからこそできるのは、いまここからスタートすること。

 お前には、ただ、見守っていてほしい。

「お前はおれを否定するんじゃないの? ずっと悪いことを言い続けてきた。足を引っ張ってきた。こんな心は要らないだろう」

 要らないと思っていたけど、そんなこと言わない。こうしなきゃダメ! そうじゃなきゃダメ! ってもう、言わない。
 後ろは向く。下を向く。泣く。弱音を吐く。でも、歩みを止めても、再び始める。何度でも始める。きっと、否定されるのが怖かった。

 歩みを止めて、泣いて、別の事をして、しかし向かいたい方向。またそっちに向かって歩こう。これで、終わっていく方に向かうのは、終わりにしよう。始まりの始まりにするんだ。

おわりに

 書き終えた後に読んだこんなサイトが、いやに目に毒だった。目がぼやけてくる。

Note : 創作活動でもっとも大事なこと

 こんなページ一つ一つを多く読んできた。そのたびに「創作を心から楽しめていない自分はおかしいのではないか」「楽しめない創作者は存在する意味すらないのではないのではないか」と思い、下に下に沈んできた。

名文や超大作を仕上げようとして手が止まってしまうくらいなら、駄文でも短文でも悪ふざけでも、とにかく気軽に投稿しましょう。
短い文章、下手な文章、ラクガキ...、そういったものを恐れて手をとめる必要はありません。まずは、創作したいこと・伝えたいことを世に送り出す。表現力もファンも、あとから十分ついてきます。
創作活動は、筋トレやランニングと同じです。一時期に集中して取り組んだら、それで終わりではありません。ちょっとずつで良いので日常生活の一部にすること、クセをつけることがポイントです。

 気軽に投稿してはいけない。誰も見向きもしない。しっかりとした体裁で、しっかりとした組み合わせで、考えて書かなければ……と思って、どんどん筆は遠のく。この文章はブロックワードの特定・解除を行った前後では読後感がまるで違い、少しでもいいからやってみるか……という気持ちになっている。

 身近に、臆せずに自己表現が出来る憧れの人が一人いるのだ。今までなら彼に気を遣って何も聞けなかった。でも今は違う。
 今度、彼にもいろいろ聞いてみようと思う。もっと自分自身が楽しく、嬉しくなるために。

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