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人が怖い/人と話したい

 11月のはじめごろ、雪が降る前に富山が誇る紅葉の名所・称名滝に行ってきました。仕事は休みで、宿直上がりの同期を助手席にのっけて車をのんびり走らせていたのだけれど、その時に同期と話していて不思議な心地よさを感じたのです。

 仕事の中でのその同期は、基本的にはおおらかな子で、決断力やとっさの判断力に欠ける自分にさっと助け船を出してくれたり、なんとなく波長が合ったり(これは重要な事だと思う)、でもだからと言って仕事の長いようで短い時間の中でそんな深い話をするわけでもない、という間柄だったんですが、ある日何となく一緒に行く話が立ち上がって、実際に行ってみて、その子のことについて少し知ることができた、ような気がするんですよね。

 ところで、僕は人と話すことが大好きです。今日はいい天気ですね、から始まり、のんびり話を相手と続けられる事に嬉しさを感じます。
 でも、そういった小さなことに喜びを感じるのは実際自分がそれを上手にこなす事を出来てこなかったからであり、今も自分の中の前提が「自分は人と上手に話す事が出来ない」「相手は自分と話すとき何を考えているかわからない、悪い方向に考えている可能性が高い」と設定されているからでもあって。実際、僕は人と話すのが大好きと言っておきながら、世間話や雑談がものすごく苦手なのです。相手から振られた話題について、相手の反応や顔色などをいちいち考えて回答してしまうから、レスポンスが悪くなってしまう。レスポンスが悪いとノリが悪い、と認識される。いつしかあまり気軽に話題を振られなくなる。実際、ノリが悪いのだろうけれど。

 どうやら、ノリがいいと思われている周囲はそんな深く考えながら話をしていないようなのです。軽く受け取り、軽く返す。僕にはそんな簡単だと思われていることがどうやら出来ないようなのです。
 そして、それが出来ない最大の理由が、相手と話しているときに確かに感じている「恐怖」なのかもしれない、とも最近思います。その恐怖をどうにかしないと、友人関係や恋人関係とかを思う次元にすら立てていない、と思います。

 でも、これを打破するヒントが自分の身近にある事も認識出来てきたかもしれません。それは「今現在の自分の状態で付き合ってくれる、話してくれる人たち」との関係性です。
 じっくり考えてみようと思います。夜に取り留めのない文だったけど、書き散らかして置いて行きます。

P.S. 称名滝の写真は記事にしてみます

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