Z世代だとかミレニアル世代、懐かしのゆとり世代といった世代論は分断のキッカケなのでは
どうも、ゑんどうです。
みんな、世代論って好きですよね。なんで好きなのかわからないんですが、おそらく「共通の話題」があるからなんでしょう。共通の話題が必要ってことは、自分の話を聞いてもらえる素地が欲しいってことだから、みんな寂しがりなんだろうってことで片付けてます。
特に最近はいろんな媒体で「Z世代」について記載されてたり紹介されてたりするのを目の当たりにするのですが、Google Trends で調べてみると2021年3月付近に多くの検索がなされて以降、相対的にボリュームが増えてるような状況らしいことをGoogle先生が教えてくれました。
なんでZ世代が他の〇〇世代と比較して多くの注目を集めることになっているのか、こういった世代論は分断を生む土壌になっているんじゃないのってことまで考えてみます。
■ 世代ごとの区分は「売りたい」側の分析結果
はじめてZ世代と聞いた時、即座に思い浮かんだのはドラゴンボールZで、そういう意味ではぼくは立派な「(ドラゴンボール)Z(を知る)世代」ですね。
横道にそれまくりますが、ドラゴンボールの作者である鳥山明さんが『テレビアニメ完全ガイド Dragonball Z 孫悟空伝説 (ジャンプコミックス)』の中でこう述べています。
連載を早く終わらせたかった鳥山明さんの感情が昂りまくっていた時期に「これでもうおしまいだよ~」って気持ちから付けられたものらしいです。はい。
話は戻りますが、Z世代がここまで注目されるのはなんで?ってのは諸説ありますが、こうやって世代ごとに区切っていくのは購買に関する仕組みを構築する側、つまりサービス提供者である事業者側の視点だってことに気づく必要があります。
いわゆるマーケティングと呼ばれる区分や要素ごとにお客さんを輪切りにして、どこの層にどんな販売促進をしていったらいいのかを考えることですね。
売れる仕組みづくりだなんて表現されますが、企業が自社の商材を多く販売し利益を確保しつづけるためには効果的で効率的な販売促進が必要ですから、お客さんの情報を分析できればできるほどにいいわけです。
そりゃそうですよね。何にも情報がない他人とは話をするどころか同じ空間で過ごすことに敷居がありますけど、過去履歴を把握している友人や知人とはそうなりません。「知っている」とはそれだけ行動に自信を植えつけてくれる大きな要素なのです。
事業者を中心とした販売したい、買ってもらいたい側が世代によって区切るのは、どうしたら自社の商材が売れるようになるのかをわかりやすくするための分析結果だということができます。
■ なんでZ世代が注目されるのか
では、なぜZ世代が注目されるのか。
こういう世代ごとに区分するのは何も日本だけの話ではありません。むしろ、マーケティングって言葉を生み出したアメリカの得意分野というか、なんというかだったりします。
アメリカをはじめとした各国でも日本と同様にインターネットが普及していて、多くの人がスマホを持っています。
端末内には多くのアプリが混在し、人々は自分の生活上で必要なアプリと不要なアプリを検証する暇などないまま可処分時間の多くをスクリーンタイムに奪われ続けているわけです。
ソーシャルメディアの台頭、特にSNSが隆盛してきたことによって影響力を持つ人の舞台がマスメディアからソーシャルメディアに移行したのは誰もが知っている通り。いわゆるインフルエンサーと呼ばれる人たちがスクリーンタイムを独占しはじめたんですよね。
これと同時に、口コミが媒体を問わずに確認できるようになったことも大きく影響していそうです。
ぼくたちは気になる商品は口コミをググるようになりましたが、それだけでなくソーシャルメディア上の評価も気にしたり、直接的に検索などをする前の段階からSNS上でどんな投稿がされているのかを気にして見るようになりました。
スマホ以前の時代とスマホ以後の時代とでは購買行動が大きく変容したわけです。この変化に商材を売って利益を得たい事業者側としてもキャッチアップして最適化、適応をしていかなければなりません。
当初は混乱したことでしょうね。それまでの販売経路から徐々に売れなくなってきたりするわけで、「なんでなんで?どうして??」なんて具合に右往左往としたのかもしれないことを思うと、なんだかかわいく思えたりします。
それを探ってみた結果、どうやらソーシャルメディア、特にSNSが無視できないようである。しかも、それを先導(扇動)しているのはインフルエンサーと呼ばれる人たちらしいし、その人たちの出す投稿や情報を手にしている人たちは1997年以降で生まれた人たちみたいだ、と。
日本の中では少子化によって該当する世代の存在感は決して高くはなく、シルバー民主主義と呼ばれるぐらいに政治でも冷遇されるような世代ではありますが、日本以外の人口ピラミッドでも若者が元気な国では非常に重要な世代と認識されているわけです。
なぜかといえば、別に購買行動だけでなく会社への就職や転職など、あらゆる場面で人に焦点を当てざるを得ない時に世代の傾向を把握しておけば打ち手が変わってきますからね。そういう観点で見ると、人口減少している世代だからといって無視していいことにはなりません。
つまり、各世代ごとに注目をされるのではなく、注目せざるを得ないんでしょうね。
■ 世代論は分断のキッカケではないのか
ただ、こんな風に各世代ごとに輪切りにしてどうだこうだと語るのって、果たしてよいことなのだろうかって考えてしまいます。
過去、日本の中で世代論といえば「就職氷河期世代」や「ゆとり世代」などがありました。いまでも就職氷河期世代は年収が低く、冷遇を受けている旨の情報が出てきたりしますから、ダメージは相当に大きかったことが伺えます。
しかも、多くの場合、当事者といえる世代の中に放り込まれた人たちは悪くありません。自分でどうにかできること以外のことでダメージを負わざるを得なくなってしまったわけです。
ゆとり世代についても、いわれのない「これだからゆとりは…」など、勝手な落胆を買うことになるなど、それなりに冷遇を受けてしまったことがある人は少なくないのではないでしょうか。
ちなみにぼくはどちらにも属していない「空白の世代」です。
こうやって世代ごとに区切って話をすることはビジネスサイドから見れば効率的で生産性を向上させるためのヒントになるのかもしれませんが、そこから逸脱して世代ごとの分断や否定的な論調を生み出すことにもつながりかねません。
しかし、使わないわけにはいきませんが、大抵の場合、そうやって批判的な物言いで誰かを否定したいと思ったところで根本的な解決をしたいわけではなく、ただただ文句をいいたいだけなのでしょう。
つまり、分断を生み出すキッカケにはなるのかもしれないけれど、分断をするかしないかは人によるって話で片付けられそうですから、それで片付けます。
おわりに
そういえば2025年から生産年齢人口においてミレニアル世代と呼ばれる2000年以降で成人を迎えた人たちが過半数を超えるそうで、1985年生まれのぼくもそのうちの一人ってことになります。
それまでの昭和的な価値観から脱却するキッカケになると期待する節もあり、逆を返せば、ここから企業の変容が起こらなければ日本は没落していく一方であるとする向きもあります。
いわゆるデジタル化やデジタルを活用したビジネスモデル改革や業務改革など、過半数を超えるインターネット黎明期を経験してきた世代による逆襲を期待しようってことです。
その一助になれるのか、なれないのかは関わっている事業や権限、範囲にもよるのでしょうが、少なくとも当事者であることは自覚した方がいいんでしょうね。当事者意識って、モテる人とモテない人がいる気もしますが、その違いは切迫感や身近な体験や経験の差なのかもしれません。
空白のミレニアル世代として、これからもチビチビと生きていきます。
ではでは。
ゑんどう(@ryosuke_endo)