役に立つことではなく、興味と関心から個人の拡張がだいじだよねって。

はじめましての方から頻繁に起こしいただく方まで、ようこそ。 どうも、えんどう @ryosuke_endo です。

このnoteでは、特に読む必要がないと感じられることかもしれないけれど、ぼくがだれかと対面して話したい”雑談”を文字化するものなので、そんな雑談にお付き合いくださる方は、ぜひ読み進めてください。

今回は油断すると使ってしまいがちな「役に立つ」って偉そうなことば。これを話題にしていきます。偉い人たちから詰められる理由の一つとして立派な地位を誇る「それって役に立つの?」が話題の中心です。

「役に立つかどうか」を聞くことの本位

役に立つかどうか。会社に所属する人たちは懸命に「しごと」をしています。その「しごと」の先にあるのは会社の売上、ひいては利益を確保することを目指してのことですから、会社内で取る行動や言動、一挙手一投足、一言一句が会社の利益のためになるものであるべき。

これが会社を経営・運営・管理する偉い人たちの立場であり、根本的な思想です。

なぜなら、会社って組織は利益を出し続けられなければ継続できないから。継続をするためには売上を出し、経費分を削った利益を確保し続けることが必要になるわけです。

そのためには直接にでも間接的にでも「利益に結びつく」ものでなければならない。だから1分1秒を争って「早く正確に」「速く確実に」と部下に行動面から利益を促し、半ば強制的、いや矯正してでも会社にとっての利益になることをやってもらおうとするわけです。

そこで一分でも関係がなさそうなことが部下側からの提案であがってこようものなら「それって役に立つの(利益になるの)」とか「それって意味あるの(利益になるの)」とか「それってうちがやる価値あるの(利益になるの)」と、ことばを変えながらも同じ質問をすることになります。

上司や偉い人たちが役に立つかどうかを聞いてくるってのは、あくまでもビジネスの側面から見た際に自社の利益に関係するものであるのかどうかを問うもので、そこに意味や意義を問うような質問ではないってことを付け加えておきたいと思います。

web3黎明・勃興期のいま「役に立つかどうか」を聞くこと

ここ数年で一気に投機的な側面から社会基盤にまで話が発展してきているweb3。いわゆる暗号資産(仮想通貨)はビットコインバブルなんて呼ばれていた時もありましたね。2017年とか2018年には投機的な資金投入により1億円もの金融資産を得る「億り人」なんて表現が出てました。

2022年現在はNFTが同じ様に投機的な語られ方をすることもありますが、スマートコントラクト(詳細は省きますが、簡単にいうとブロックチェーン技術を根幹にした改ざんが不可能な契約の履行管理を可能にするコンピュータープロトコル)が一気に普及し始めることにより、これまでの投機的な側面だけでなくインターネット登場と同規模の大改革が行われる時代に突入しているといわれています。

web3の世界観は自律分散型の社会ですから、GAFAMのような巨人たちが一手に利益や情報を統制管理できるような状態にはなりません。DAOと呼ばれる自律分散型のコミュニティは株式会社の持ち株比率のようなものがあります。

コミュニティ内で貢献した人にむけてトークンを発行するわけですが、株式会社だと1/3以上はもっていないと経営権を失う…とか保有するトークンの保有比率によって経営層の力関係を誇示しようとしますが、DAOはまったく逆。

むしろ、DAOの立ち上げ人たちのほうが参加ユーザー数よりもトークン比率が小さいなんてことが「当然」だと考えられており、それができないDAOは「怪しい」とか「近づかないほうがいい」といった見られ方をしてしまい、優秀な人材が確保できない事態に陥ってしまいます。

これまでの資本主義的・利益の寡占状態を確保することに躍起になってきた経済動向とは一線を画すような動きが世界中で同時多発的に勃興しているわけです。

ここまで書いてきたものを「いや、わけわかんないんだけど…」となってしまう人もいるでしょうが、大事なことは株式会社の風習や慣習に染まり、そこに魂を引力に引き込まれてしまっている人たちではなく、それを知らない若い世代が当然のように年齢だとか関係なく飛び込んでいるって事実です。
そこに大人的・株式会社的な「役に立つの?」なんて会話がされることはありません。

個人の意義や個人にとっての意味があるのか

インターネット黎明期。

いまのような誰もがスマートフォンを持ち、インターネットに接続することが当然のような世界観を実感していない日状態で「インターネットによって物理的な距離に関係なく意思疎通を図ることができる」とかいわれてもピンと来る人はいなかったでしょう。

1995年以後のインターネットを体験してきた人たちならインターネットが辿ってきた軌跡を目の当たりにし「インターネットは世界を変えた」と実感できたはずですが、多数派が恩恵をこうむっていない状態では当然のようにこう質問されます。

「それって意味があるんですか」

インターネットの場合、ネットに接続されることによって膨大な情報を誰もが簡単にアクセスできるようになったわけですから、国会図書館のような莫大な図書を自前の倉庫に抱えなくて済むわけです。

膨大な情報がインターネットの中にはあるわけですから、その中に入るための内発的な動機が必要なわけです。

自分が何を知りたくて、何をやりたいのか。やりたいことはあるけれどやり方が分からなかったり、過程で仲間が必要だったりするわけですが、それを解決できるのがインターネットにおける意味であり意義だったりします。

つまり、個人の意義や意味を見出していない状態では、どんなものであっても役に立たなければゴミにもならないわけです。

結局、役に立つかどうかを決めるのは一人ひとりなんだってことをいいたかったわけですが、だからといって株式会社みたいな仕組みを否定したいわけでもありません。ただ、今後は10年、20年と時間が経過すればするほどに旧来的な株式会社が立ち行かなくなってしまう状態も十分にありえるのではないかと思うのです。

夢みたいな話でしょうが、時代ってのは早いものですからあっという間に到達するのだろうなぁ...とか思っていたりしますので、興味がある人は検索してみてください。それこそインターネットの恩恵を存分に享受しましょう。

ではでは。

えんどう

紹介したいnote

Gaudiy CEOである石川さんのnoteはweb3の本質を考察していますし、note内で紹介されているnoteを読めばさらに「なんとなく」わかりそうな気もします。結局、全体像をくっきりと理解することはぼくみたいな低能くんにはできませんが、要素をかいつまんで理解することはできます。問題は、まったく触れようともしないことです。

国光さんは上記のnoteはweb2.0的なSNS(Facebook、Instagram)の時代が終わることを2019年に宣言しているわけですが、web3の世界線にMetaがメタバースぐらいしかできることがないって時点で「たしかに」って話になってますから、もう時代が変わるのかって話ですね。

福祉にweb3は関係があるのか。大事な観点ですよね。これまでの主従関係が「リアル>オンライン」だとしたら、web3の世界線はそれを逆転させる世界観かもしれません。そうなってくると大いに関係がありそうなわけです。これも個人が興味を持つことで開かれた視点ですよね。大事。


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