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若くて優秀な人たちが辞めてしまう事業者が気づいてないこと

はじめましての方から頻繁に起こしいただく方まで、ようこそ。 どうも、ゑんどう @ryosuke_endo です。

このnoteでは、特に読む必要がないと感じられることかもしれないけれど、ぼくがだれかと対面して話したい”雑談”を文字化するものなので、そんな雑談にお付き合いくださる方は、ぜひ読み進めてください。

はじめに

自由業の身分、いや立場となる前から気づいていたが、基本、若くて優秀な人ばかりしかいない。

そもそも就職ができている時点で何かしらの魅力があったから企業と雇用契約を交わしているわけで、何の魅力もないドベ人間は箸にも棒にもかからないはずだ。

この文章を書いているぼくは現在でこそ在野の自由業者だが、会社員として雇用契約を結んで就労していた時期もある。いや、むしろそちらの方が長い。

就労生活を改めて振り返ってみると、ぼくは年齢によってマウントを取るようなことを20代の前半から中盤までしていただろうが、基本的には年齢によって区別しない。

なぜなら、自分よりも年齢が低かろうが優秀なヒトは優秀だからだ。

しかし、どうやら年齢や社歴によって区分をしたがる事業者がいるようであることが15年以上の就労人生によって理解できたので簡単なメモを取るつもりで書いていく。

“使用者”ヅラしないこと

「労働者=使役する存在」と捉えている古臭い思考をする方々に出会うことがある。「ヒトを使う」とは随分と上から目線で、昭和や平成初期の価値観だ。

この価値観を古臭いと考えてしまうのは、ぼくが先端的な見識や知識にまみれているすばらしい人材だからではない。法律上、労働者と事業者の間には労働契約が交わされているのだから対等なのである。

事業者側は「雇ってやってる」でもないし、労働者側は「雇ってもらってる」ではない。相互に就労条件と労働内容を確認しあい、理解と納得の上で「契約」を交わす間柄だ。

その関係にヒエラルキーがあるわけではない。

雇用契約を結び、組織の一員となった際には組織図の中に組み込まれることになるため、組織内での序列や役割があるだろうが、それだって「役割分担」を示すものでしかない。

上司だからエラいわけでもなければ、部下だからといって”くだらない””つまらない”存在なわけでもない。

組織といった矮小な枠組みの中でのヒエラルキーを社会構造の中でもあてこみ、会社の外でも上下関係を構築しようとするようなヒト科生物とは可能な限り距離を置きたいと考えてしまう。

結局、事業者側が労働者を「使ってやってる」だとか「雇用してやってる」と考えてしまう時点で若くて優秀な存在たちが離れていく。

昭和の時代には適していたであろう訓示が堂々と社内で掲示されているのだとしたら、それは経営陣の組織内における「力の誇示」でしかない。それを見て奮い立つヒトもいなければ覚悟を決める従業員は一人もいない。

経営陣はがんばって来たのだろうし、いまもがんばっているのだろう。

若くて優秀なヒトたちが離反してしまうことに疑問を抱き、どうしたら組織に残ってくれるのか。どうしたら肉体的・精神的に充実した状態で就労してくれるのかを考えているのかもしれない。

それを考えていたり、考えようとしている事業者はいい。きっと、こんな雑文を読んでも激昂することなく、淡々と「そういうところ、あるよな」なんて読んでくれるだろう。

何にも考えずに従業員は「使われるべき存在だ」と主張してしまうような経営陣が未だに跋扈してるような組織は今後10年以内に雇用契約を結べるヒトがいなくなるはずだ。

若者だろうが優秀であることを評価すること

年齢だけでヒトを評価し、役職だけで意見を聞くかどうかを決め、組織におけるヒエラルキー上位層の心象によって物事を判断するような事態が万円しているのであれば、優秀な人材はそそくさと逃げていく。

なぜなら、そういった組織には「優秀であること」を評価できる仕組みがないからだ。

表面的には「実績で評価する」とか「新しいことをドンドンと意見してほしい」みたいな発言や発信をするだろうが、実はそんなことを評価できる仕組みをつくってもいないし、制度構築もできていない。

そもそも「社長」や「部長」といった役職も「係長」と組織外のまったく無関係の立場から見たら同列である。

何がいいたいのかというと、組織内の役職は対外的に誇示するものでもなければ求められてもいないのに提示する理由もないわけで、組織内のヒエラルキーは役割分担を決めただけで、そこにあるヒト同士の交流はフラットであるべきだ。

年齢が20代であろうが50代であろうが関係なく、フラットに接する態度を示せるような組織は、根底に実力や成果、貢献度によって評価をする制度や姿勢がある。

制度が未構築ならまだいい。姿勢すら取れない組織なんてのは、「客観的に正しいか正しくないかの判断」を目一杯、主観で振り切ってしまう。
定量的な数値評価をすべきなのに「仕事のすすめ方が気に食わない」とか「俺がこういったんだからこうやれ」といった傍若無人な振る舞いをするのは愚鈍な様を見せつけることにしかならない。

そんな上司就労者がいる場合、残念ながら離反したほうが身のためだ。
そんな組織は、いまはまだ規模を維持できているとしても数年後、少なくとも10年の間に瓦解していくだろう。

なぜなら、日本は人口が減少しており、日本語を母語とする就労者の数が激減していくからだ。少なくとも就労者の立場で考えれば「組織に貢献する」なんてのは二の次で「自分の生活を担保する」ことが第一義になる。
母数が減少していく中で、組織内の都合を優先させては「それらしいこと」しか発信できない組織なんてのはヒトを獲得できるわけがない。

逆に就労者はチャンスだ。

これからの就労先はホワイトとブラックが明確になる。求人条件からして明らかになるうえに、椅子取りゲームの椅子は割と空くことになる。備えろ、就労者。

おわりに

好き勝手に書いてきた。

就労してきた事業者数は一般的な就労者よりも多いし、離職しても割と即座に就労が実現できた。おまけにいまは自由業者となって自分のボスとして冷徹に利益勘定をしている。

一つの事業者の中にしかいない一般的な就労者と比較すると、それなりに組織を見てきた自負はある。だからといって、ここに記載した内容が全てだとは思ってもいない。

ただ、これだけはいいたい。

パソコンだけは”相応のスペック”で用意したほうがいい。
メモリが4GBのパソコンなんて即座にリサイクルに回し、最低でも8GBはある端末を従業員へ貸与すべきだ。パソコンの起動に10分も20分もかかってしまうことの損失をもっと真剣に捉えるべきだ。

仮に20日間の営業日があるとしよう。20分/日も無駄にしているのなら、20日間で400分だ。時間にして6.66…時間。仮に時給が3,000円台の役職者だった場合、20,000円弱も無駄にしている。

いや、2,000円でもいい。2,000円だとしたら13,320円だ。これが10人いたらおよそ130,000円の損失だし、20人いたら260,000円の損失だ。一人雇用できるだろ、それ。

よし、がんばるぞ。

ではでは。

ゑんどう

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