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行為としての「走る」メリットを考えてみる

#なに書いた **
運動としてのでもなく、移動手段としてでもなく、行為として「走る」メリットがどんなところにあるのかを考えてみます。

どうも、えんどう @ryosuke_endo です。

走ることをひたすらに繰り返してます。毎朝。

ボクの朝は毎朝3時から3時半に始まります。世間的には大人の方々が仕事だろうが、プライベートな時間だろうが家族に邪魔されずに楽しめる時間を享受できる定番の時間帯は夜なのでしょうが、ボクは違います。

子どもたちと共に寝てしまった方が楽なのもありますが、大人が嗜む時間、それを朝に持ってきているだけです。

この空白的な時間の使い方って、個人ごとに優先順位をつけているのでしょうから、人の数だけ正解があるように思います。

ボクの場合は「自分をメンテナンスする」時間としていて、メンテナンスは肉体的な物でも精神的なものでも両方あるわけです。残存勢力のある仕事を片付けることもあれば、余暇時間として書籍を読む時間にするなど、往々にして「やりたい」「向き合いたい」と思える事柄に向き合う時間とするのです。

肉体的なメンテナンスでいうと、ワークアウトがあります。おじさんはやらなければやらないだけ、肉体的な衰えが著しく結果(見た目)として出てくる物ですし、何より健康でいれる時間を延伸していきたいとも考えております。

自分の肉体メンテナンスを行う際に、トレーニングジムに通うことはしません。自体重のトレーニングは自分の好きな時間にトレーニングを開始することができますし、お金を払う必要もありませんから。

ケチ臭いのもありますが、そこにお金を使うだけの価値が見出せないのと、機械を扱うトレーニングや、それによって「仕上がったカラダ」が好きではない。理由はただそれだけです。

ただ、「走る」ことに関しては、運動として取り組んでいる側面もありますが、それがメインの目的なのかといえば違います。

現状、原則的に在宅での勤務ですから通勤する機会はほぼありません。つまり、実質的に遅刻することがなくなったのです。実際的に歩いて会社に行く機会が減ったのだから、急いで会社に向い必要もありません。つまり、移動手段として「走る」ことがなくなったのです。

ま、新潟の場合は通勤といったら自動車での通勤は一般的なものです。朝の通勤時間は、それなりに賑やかな道路がそこここにみられますし、ほんの数ヶ月前まではボクもその一員でした。

ただ最近、気づいたことが一つ。

それは「自動運転」を待望する気持ちも薄れてきました。すごく待望、いや、切望していたのですが、まったく気にしなくなったのです。そこで気づいたのは運転することが嫌なのではなくて、渋滞っていう濁流に飲み込まれるのが嫌なのだってこと。そういう人、少なくないんじゃないですかね。まぁ、いつになることやら、ですが。。


話を戻して「走る」メリットについて。

上でも書いているように、ボクはどこかジムへ通ってはトレッドミルに足を乗せて走ることはしません。嫌いというか、苦手なのもありますが、自らの足で走ることで刻々と変わる景色を見ながら移動できることに実感と満足感を得たいことが挙げられます。

結果的に継続することによって肉体的な意味での成果・恩恵を授かることにもつながりますが、それ以上に一歩ずつ移りゆく景色もそうですし、時間によっても異なる景色が視界に入り込んでくる様を実感することこそがものすごく贅沢な時間であり、愉悦に浸る時間にもなっているのです。

ただ、景色が変わるだけなのであれば歩くだけでもいいのかもしれませんし、実際、ボクもそう思います。そうは思いますが、同時に、それでは物足りなさを感じるのも事実です。

ボクは生き急ぎたいわけではありません。むしろ、生き急いでる人がいれば少しペースを落とすように声をかける側の凡人ですし、それを否定するだけの能力を保持してもいません。

インターネットとか手と頭を動かすことを主軸にしていることもありますが、自らの足を動かすことの方が大事だと考えてもいます。気分が後ろ向きになることもありますし、落ち込んでしまうこともありますが、それでも歩みを、走りを止めさえしなければ少なくとも前には進めます。

それを気分だけで終わらせるのではなく、実際に自分の実感値として得ていくために、ボクは走ってます。また、それだからこそ他人にも勧められます。

距離を設定するでもいいし、時間を設定するでもいいのですが、着実に、だけど確実に自分の一歩一歩が前進することへ効果を発揮しているのを実感する機会を得るためには、実際に進まなければなりません。そして、取り組む上での時間はあるようで限られていたりします。そうなると歩くよりも走る方が遠くに、速く行けるのです。

一定のリズムを刻んでいくことも思考の整理にはいいのだな、と感じていますし、一定のリズムだとしても登り坂と下り坂ではペースが変わります。そのペースを実感することも、手と頭を動かすためには不可欠な訓練だろうと思ってます。

何よりも優れているとは思いませんが、とても有益な行為だろうことは実感するに至っています。そして、走れている時のボクは健康なのです。それを実感するための便利なツールだと思うと、使い勝手の良いツールだと実感します。

そんなことで、オススメです。

それでは、また!

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