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入院生活16日目(10/1)の記録

昨夜(09/30)から明け方にかけて、寝入るのに時間がかかった上に深く眠れずにゴロゴロと転がっているだけの時間が多かった。

数年前に睡眠が大切だと思ってからは、きちんと睡眠時間を確保するように努めていたのだけど、入院をする辺りからは眠りがうまくいかない状況。

なんだか、この辺りにも要因がありそうなものだけど、素人考えにいくら考えてみても解にはたどり着けないから考えるのをやめよう。

夜が明けたところでカーテンを開けてみると、この日もキリが発生しており、視界が悪い。ただ、キリが発生する日はとてつもなく晴れて気持ちがいいから、それを見るのが楽しみになってきた。

それでも、この時間帯は視界が悪いのはいうまでもない。この時間帯に自動車などを運転している方々は苦労なさってるんだろうな…なんて思いながら自分が入院してからは車を運転しなくないのを考えると、こんなに運転しなかったのは久しぶりだなぁ…と。

めまいの症状があるうちは運転厳しそうだなぁ、と思っているのだけど、そろそろひどい症状になる機会も減ってきたし、薬飲まなくても平気かな…なんて軽い気持ちで一度服用を飛ばしみた。

ダメみたいだ。

正直、薬飲んだ時でも症状が出るときには出ていたから『飲まなくても一緒なんじゃない』とか思ってた。ごめんなさい。なめてました。これからはきちんと服用します。

結局、午前中はそんなだったからリハビリの第一部までに回復できず…

寝転びながら『うぅ…』『あぁ…』言ってたら、はじめましての声が聞こえたかと思ったら、神経内科の診察が始まり、午後からは検査を行うことになった。

正直、どんなものだとしても解答が得られるのであれば、それでいいとすら思ってる。

「身体的にはなんの問題もなく、ただのストレスでした」なんてのもありえるかも知れないし、それだったとしたら妻や親類、職場のみなさんはズッコケるかも知れない。

だけど、もうこんな風に日常生活から切り離された状態でモヤモヤしているのは御免だ。

ただ、そうだったとして、ストレスってのをバカにできないし、それが「仕事」のものだけではない。

日々の生活だって、職場だって、それ以外にだって人が知人や友人が存在し、そこに自分が関係性を持っているのであれば、因子は膨大な数になる。

いろいろと因子や要因がある中で、複雑にこんがらがった社会における比率、シェア率の問題のはず。

これが原因だ!なんてピンポイントで特定される、なんてのは稀で、ほとんどの場合、AもあれびBもあるし、もしかしたらFの問題なのかもしれなかったり。

あーだこーだと考えていたら、専門学校の職員時代に一、二度お会いし、お酒を共に飲ませていただいた方がお見舞いに来てくださった。

うれしかったです。どうもありがとうございました。

ただ、予定したよりも早く検査室が空いてしまったからか、会話も漫(そぞ)ろに筋電図検査に呼ばれたので向かうことに。

これが、痛い。

神経に電気刺激を入れて筋肉の反応を見るって検査だったのだけど、特に顔面に刺激を入れたところが最も痛く、挫けそうだった。

痛くて瞼(まぶた)をギュってしたら、『ダメだよ、もう一回』と言われて再度刺激を入れられた。ごめんなさい。

検査の結果はまたもや異常所見は見られないとのこと。そして、過去にメンタルの不調を罹患したことがある旨を伝えたところ、今回もその線じゃないか、と。

…ん〜。。

結局、気持ちの問題ということなのか。今回もメンタル面が弱ってしまっていたから、めまいや手足の不調につながったのだ、と決断されたような状況です。

そうなのであれば、気の持ちようによって改善できる、ということなのか。

『まずは医学的な所見としては問題が見られないので、良い方向で考えて、“悪いことはなかった”ので、自信を持ってください。』と、そんな風に説明を受けていて、やっぱりそうなるのか…なんてある種の絶望感みたいなものが芽生える。

スッキリするはずなのに、スッキリはしない。

自分のメンタルによってめまいも、手足の不調も起こっていたのだとしたら、わざわざ入院をするようなことだったのか…と恥ずかしい気持ちになり、自分自身に対しても残念に思ってしまう。

ひとまず、リハビリで機能を快復させることを注力してがんばれ、とのことだが、がんばろうと思う気持ちはあるものの、なんだかやりきれない気持ちになっている。

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