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自分の幸福ぐらい自分で決めるべきだよね

**## ここでなにを **
これまでに付き合ってきた人たちの中には、多数とは言わないけれど幸福の尺度を他人に依存している人がいたんだけど、自分の幸福度自体は自分で決めた方がいいよね、なんて話。

どうも、えんどう(@ryosuke_endo)です。

ダイヤモンドオンラインに『人生の9割は「周囲の人のレベル」で決まる』ってタイトルの記事が上がっていたのですが、内容は書籍の紹介で終わる内容なので「まぁ、そか。うん。」となるものです。興味があれば読んでみてください。

自己啓発の対象は「できる人」が前提

記事内で書かれているのは、書籍内で記載されているものを抜粋する形で紹介してくれているのですが、要約すると「付き合う人間を選べ」ってことで、しかもそれは自分の行動を変えることによって......みたいな、いわゆる自己啓発系の書籍に掲載されがちな、いわゆる常套句が並んでます。

|幸福は「友人の友人の友人」まで伝染する
|「似た考え」より「似た志」の人とつきあう
|その人はあなたを引き上げてくれるか、その反対か?

もうパワーワードですね、ほんと。

自己啓発系の書籍は決して嫌いではないのですが、自己啓発はどこまで行けば達成できるのかを明示してくれません。努力によって自らの人生を勝ち得てきたと考え、それを実感している人たちは決まってこういいます「やればできる」。

「やればできる」は、できる人の話であって、できない人にとっては「そもそもやろうと思えない」し、いざやろうと思っても「できない」から悩んでることに「できる人」は気付けもしないし、「そんな人はいるわけがない」と否定しがちです。

事実として、ボクみたいな「できない側」の人は存在します。

その人たちに、いくら「できる側」の人たちが「やればできる」と説いたところで響きません。

実際に「取り組んでみろ」と言われて取り組んでみたところで経験や知識が不足しているから無作法だったり、遠回りだったりするのですが「できる側」の人たちからみると、やり方がなっていなかったり、考えられないようなやり方をするものだから、もどかしくてイライラしてしまうようなやり方になります。

結果、イライラをぶつけられて「できない側」の人たちはレッテルとして「できない」を貼り付けられる上に、冷遇されていくことになるのですが、そこに甘い誘惑的に自己啓発本を見かけようものならアウトです、アウト。

そこには「(どんなにできない人でも)やればできる」と書かれていて、気持ちがスカッとするような内容だから、ついつい引き込まれてしまいます。

ここで問題なのは、かなり敷居が高いことが書いてあるのに編集を通して文章は咀嚼しやすくなっており、ゴクゴクと溜飲できてしまうこと。

その敷居の高さに「できない側」の人は気付けません。

付き合う人で生活が変わるか

じゃー、付き合う人を変えればいいじゃないか、と思うかもしれませんが、付き合う人で生活が変わるわけではありません。これ、反対です。

生活が変わるから付き合う人が変わるのであって、付き合う人が変わったから生活が変わるわけではないだろうと思ってます。

生活圏を変えれば近所に住む人たちが変わることになるし、働く場所を変えれば同僚や上司が変わりますし、子どもたちにしても学校や保育園、幼稚園なども変えれば、同じクラスや担当とする職員が変わります。

付き合う人たちを変えるのではなく、生活を変えることによって付き合う人が変わります、って当たり前です。

もちろん、同じ職場環境だったとしても、職場以外での付き合いを増やすことは可能です。それにしたって、時間を工面することは生活時間を変容させることですから、何かしらの行動を取ることで生活を変えることで付き合う人たちが変わるわけです。

つまるところ、自分の行動次第ってことになります。ただ、それをやることが好きな人はすればいいって話です。大して好きでもないのに、ここにこうやって書いてあるからといってやるべきではありません。

自分の幸福は自分で決めるべき

自己啓発に飲み込まれるな、付き合う人が変わるのは行動した時だけだぞ、なんて至極当然な話なのですが、ボクはこれに気づくまでに10年ぐらいかかってる気がします。

いわゆる社会人として仕事をするようになる前から、なってからのしばらくの間も、「やればできる」と思ってましたし、できないことがあったとしても自己啓発本を読むことで気持ち良く、その気になってました。

ある意味では呪縛だったのかもしれませんが、それに気づいたのだって「自分ではどうにもできない事案はあるし、敵わない人たちがいるってことに気づいたから」です。

「高ければ高い壁の方が登った時気持ちいいもんな」って歌詞を聞いたときには「なんて素晴らしい歌詞なんだ!」と思っていたのですが、今になって思えば「なんて残酷なことをいう歌詞なんだ」とすら感じます。
※この歌は大好きですし、この歌に気持ちを高めてもらった過去もあるので、嫌いなわけではありません 笑

何故にそう感じているのかといえば、高い壁を登った時というのは目標を指しているのだと思いますが、高い目標を設定することに対して生きがいややりがいを感じられる人は、それに向けて突き進んでいけばいいと思います。

ただ、ボクの場合はそうではなく、低い目標をたくさんこなしていくことによってやりがいや達成感を得られますから、この時点で上で書いた歌詞に対して気持ちを高められていたことはなんだったんだ、と思うわけです。

何が言いたいのかというと「事実と真実は違います」ってことで、事実として、数値として現実的に起こったことと、人が考えたり願ったりすることには大きな乖離がありますよ、なんてことです。

自分の幸福を実感するためには、事実が正しいからそっちを前提にすべきだとか、真実が望ましいから大事にすべきだとか、そんな話ではありません。

そのどちらを参考にするのかも含めて、自分が幸福だと感じられることだったり、満足できるようなことを把握することから始めるべきだと思うんですね。

他人の顔を伺ったり、他人が求める価値に自分の幸福があるのだと勘違いしている人がいますが、それは誰かの幸福であって、あなたの幸福ではないんですよ、なんて話です。

っていうわけで、ボクはいま幸福だと思っております。はい。すいません。

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