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子どもに見せたい自身の人生に対する姿勢の話

カッコいい親父になりたいとか、尊敬されるような父親でありたいとか、そんな風に考えた記憶は一切ありません。

ただ、物事に対して向き合うたびに悩みながらも考えて、どうにか足掻きながらも、彼らに対して真剣に向き合っている様子を、それとなく理解してくれたら儲けものだとは思っています。

こうやって毎日noteを更新する中で、彼らに対しての態度や姿勢について考えない日はない。ないのだけれど、そんな風に考えさせてくれる日常をくれた存在だと思えば思うほどに感謝しかなくて、社会的、世間的には決して大したことのない人間だったとしても、彼らにとって「父親」って役割を担えている事実を実感する日々となっているわけです。

「父親の自覚」なんてものは絶対にわからないのだけれど、「父親の役割を担う実感」は、なんとなくそれっぽいものが理解できてきているように思うのです。間違ってるかもしれないけどね。

僕が抱いていた父親の姿って何だか大きくて、ちょっと怖くて、でも頼りたい存在で。

いまの長男や次男、もう少ししたら三男にも、彼らなりの「僕の見え方」があるのだろうし、それを僕が知るすべはないし、知ったところで変えようとも思わないし、変えられるものではないのだけれど、ちょっと知りたい気持ちにもなったり。

僕が抱いていた父親の姿は、おそらく、父親なりに真剣に向き合ってきたからこそ、僕が抱いた姿なのだろう。

父親ってステージでいえば、僕はまだまだ乗り越えなければならない壁が多いのかもしれないけど、少なくとも、子どもと生活をするって意味では同じ感情を抱いているのだろうとは思う。

僕の父親と同じかどうかはわからないけど、僕と生活をともに送ってくれる子どもたちへ抱く僕の感情は真剣で、時にはふざけあったりもするのだけど、基本的には背中を伸ばして生きて行くって姿勢を見せているつもり。

良し悪しはわからないし、どちらにしてもそれが彼らの人生に対してどう影響していって、その結果、彼らが幸福になるのかどうかなんて予測なんてできもしない。

だけど、だけどね。

「真剣に話してくれた」って、子ども心にでも刻みつけられたなら、僕は幸福なのかもしれないんです。

子どもに自分の人生を押し付けるつもりもないし、押し付けがましく「親だから」「子だから」なんて関係性を全面に出しながら接していこうとも思っていないのだけど、ちょっとだけ感じてほしいことがあって。

それは「一番近くで生活をしている時間が長い間に、真剣に向き合った大人がいて、それが父親や母親だった」って少し長いけど、そんな風に思ってもらえるような姿勢や態度を出していければいいなぁ、なんて理想論を抱いてます。


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