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Twitterの使い方を思い返す投稿を試みる

どうも、遠藤です。

ぼくのTwitter登録は2010年08月なので、決して早い方ではないのですが、この08月には10年を迎えるのか......と思うと、少しだけ感慨深いものがあります。10年も経ってくれば、いろいろなことがあるじゃないですか。

ROM(Read Only Member: みる専門)ってるだけの時もあったし、積極果敢に発信しようって意識してた時期もあるし。

その都度、Twitterの中にいる人たち(ついったらんどの住人)のキレキレな投稿や、あまりにも無名にしておくにはもったいないほどの面白さを放つ大喜利など、それ自体がそもそもエンタメとして成立する140文字のワンダーランドを実感してたし、いまだって根底では何ら変わりません。

今でこそ、日本でのユーザー数が増えてきたのもあり、#(ハッシュタグ)は平仮名やカタカナ、漢字などに対応しているので使い勝手がよくなっていますが、2010年当初はできませんでした。

今は当然のように行われる「イベント内容をハッシュタグをつけて投稿する」なんてことも、ぼくの認識で先駆けだったのは津田大介さんが記者会見や公的な審議会を実況ツイートをしていた様子をTwitterのユーザーが名付けた「tsudaる」からだと思っています。

そんなTwitterの世界も、ここ数年は認知を得るためのツールとして善し悪しはあれど認知されだしていますし、攻略法的なTips集が増えてきたりしてました。

また、件の情勢もあるからなのか殺伐としてたり、はたまた政治的な内容を扱うがために物凄く振り切ったような物言いがまかり通ったり。

ぼくもそんなにTwitterを使いこなして仕事をとってきたり、仕事の案件に直結するような、もしくは結びついていくような発信をしているのかといえば、決してそんなことはありません。

むしろ、そんな風にTwitterを存分に利用できている人たちからしたら、落第レベルかもしれません。

それでも、魔法の国であるついったらんどで意識しなければならないことは把握しているつもりで、それを投稿したのが以下です。

Twitterを覗いていると、時間はあっという間に流れて(溶けて)いきます。

これは本当にあっという間。

数時間前のTwitterを覗き始めた自分に「この時間を返せ!」と言葉の暴力を投げかけたくなるぐらいに消失していきます。

それを自覚しているかどうかが重要で、その認識を持っているからこそ、入り浸りながら寄り添う生活を手に入れることに対しての改善策を求めるようになるのです。

「どうやったらタイムラインが少しでも俯瞰的に見えるのか」

「どうしたら注目してる人たちの発信を一覧で見れるのか」

「気になったニュースとか投稿したいけど、やりやすいのは...」

など、挙げ始めたら結構な数が出てきます。

それはTwitterに入り浸った結果、仕事も大して進捗を果たしていないに限らず、何にも有益な発信すらできていなかったけれど、時間を溶かすだけ溶かしてしまった経験をしているからです。

それがいいことだとか、そんなことを述べるつもりは毛頭ございません。

偉そうに述べられるだけの発信をしているわけでもなければ、それを誇らしげに語れるほどに無知蒙昧な人間でもないと思っています。

ただ、Twitterは基本的に独り言の世界だし、「ツイート」は「つぶやき」だから、街中でボソッと述べるつぶやきに聞き耳を立てている人がどれぐらいいるのかどうかを、あまりにも意識しすぎてしまうのはどうかなぁ、と思うのです。

意識するな、ということではありませんが、「ねぇ、今のつぶやき聞いてた!?ねぇ、聞いてた!?」とか顔を近づけてくるような態度や姿勢の人には近づきたいとは思えないのです。ぼくはね。

とはいえ、何でもかんでも発していいのかといえば、決してそんなこともないでしょ。

リアルに接した際に出せる態度や姿勢、言葉の使い方なども含めて、真摯な態度というか向き合う姿勢みたいなものは丁寧にやるべきだと思ってます。

社会的なキャラクターを、演じるって言い方はおかしいですが、自分がどう見られたいのか、見られるべきなのかを把握した上で、ついったらんどの生活を楽しんでもらいたい。そう思うのです。

そしたら、何かしら人生に好影響を与えてくれるような機会に恵まれるかもしれませんしね!

よし、じゃ、この辺で。

それでは、また。


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