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子どもとの時間に本気を出せないことは許せない

##なに書いた
つい、仕事をはじめとした何かしらを言い訳にして、子どもたちの"いま"に真剣に向き合えてない場面や時間があります。ボクはそれがとてつもなくイヤなのですが、そのことを考えてみました。

どうも、えんどう @ryosuke_endo です。

平日だろうが、休日だろうが関係なく、子どもたちには本気で向き合いたいと思っていますし、仮に本気を出して向き合えていない自分に気づいた場合には結構な勢いで自己嫌悪みたいな感情が湧き上がってきます。

ボクは聖人君子でもなければ、なんでもこなせるエラいパパさんでもありません。ごくごく、どこにでもいる平凡な"一般男性"です。

Twitterでこんな投稿をしてみました。この投稿をしたのは9月の連休中なので、子どもたちと本気で遊ぶ父親像を想起してもらったのかわかりませんが、連休中だとか関係なく日頃から意識していることです。(誤字ってますけど、ワザとです。...すいませんでした。)

妻さんからすると大きな不満のある人間なのかもしれませんし、そう思われるだけの実感をしてもいます。

また、子どもたちからしても物足りない父親なのかもしれません。

なにをしたら足りて、なにをしなかったら足りないのかを把握するのにも苦労するぐらいに情けない人間ですが、役割や立場として「父親」を与えてもらってます。

世間的な父親像は知らないし関係ない

世間的な「父親像」はわかりません。それらの関連する検索をしたところで出てくるのは「つるの剛士」とか「野原ひろし」が出てきます。

「理想のパパになるために」みたいな押し付けがましい内容の紹介なんかも出てきたりするのですが、「理想の父親」像なんてものは誰が抱くものなのかを考えてみると「子どもだろう...!」と思わざるを得ません。

理想って、そもそも手の届かなそうで届くものであるべきだし、条件設定が可能なものであるべきだと思ってます。まったくもって届かないものであるならば、それは理想でもなんでもなく妄想の類で、ただの思考実験です。

実際の生活に即した理想を掲げるのであれば、そんなアンケートで芸能人やキャラクターの名前を挙げるのではなく、理想のあり方を家族で議論すべきです。

「議論」なんて書くと互いの主張をぶつけ合うことよろしく、激しいものを想起するかもしれませんが、そうではありません。家族内で「こうありたい」と考える時間を設けたうえで、そうするためにした方がいいことを述べ合うだけでも立派な議論です。

それもせずに「理想の父親(母親)」、引いて言えば「理想の家族」なんてものは成り立ちませんし、目指すことすら叶わないものだと思ってます。

なので、ボクは世間的にいわれる「イクメン」なんて言葉だけの、我が家にとってはなんの意味もなさない表現に踊らされることはありません。踊ったところで家族の中で居場所が確保できるとは限らないのです。

子どもとの触れ合いは未来を作ることなんかじゃない

こんな風にして家族観だとか子どもとの時間を云々、みたいなことを書いていると「子どもの未来のために」なんてことを書いてるように読まれることもある(実際、そんな感想をいただくこともある)のですが、全くそんなこと考えていません。

未来を作るために彼らに向けて真剣な態度を取るのではなく、彼らとの時間が限られているからこそ、"いま"本気で向き合う必要があるってだけです。

子どもとの時間って、相当短いです。これ、気づいてる人ってどのぐらいいますか。気づいていたとしても実感できてる人ってどのぐらいいるんだろう。

ボクなんかはね、イヤなんですよ。着実に、彼らが大人に近づいていくことを実感するたびに、成長を目の当たりにする度に、こう思うんです。

「あぁ、また遠のいていくなぁ...」

生まれたばかりの小さいままのイメージで接してしまうために子離れができない親がいることはググればそれなりに情報が出てきますし、中には子どもに向けてとんでもない仕打ちをしてしまう毒親なんてのも目に入ってきます。

ボクがそうであるのかどうかはわかりませんが、少なくとも子どもたちが一歩ずつできなかったことができるようになったり、語彙が増えたり、考えることが深くなっていたりするのを間近でみていると、ものすごく嬉しいのと同時に寂しい気持ちにもなったりするのです。

それを0(ゼロ)距離で、五感をフル動員して楽しめる贅沢な時間も、15年、早ければ10年で終わってしまいます。

子どもとの時間は究極の贅沢時間だと思うようになったのは、長男くんとの生活が始まってからなので丸6年ですが、未来をつくるなんて大それたことはボクにできませんから、"いま"に真剣に向き合うことこそ、必要なことだろうし、ボクにもできることなんだと実感する毎日です。

家族大事、仕事も大事

「仕事と家族、どっちが大事なの」みたいな質問をされる人たちって本当にいるみたいなのですが、これって質問をする側も、される側も感情的になりすぎてる気がします。

この二つを天秤にかけたいと思ってしまっている時点で、二者択一の選択しかできないことになってしまうのですが、それらの二つだけで人生が成り立っているのかと言ったら、そんなこともないでしょう。

趣味だってあるだろうし、学習したいと思えることだって互いにあるはずです。それを究極的な二択の中で迫る・迫られることをしたところで、どんな回答をしたとしても、それは互いにとって溝を埋めることにはなりません。

冒頭でも書いたように、お互いの抱く家族観を"丁寧に"議論すべきです。

仕事でいえば、子どもに「自分ががんばってる姿」をみてもらうこと自体はいいことだろうと思うのです。これは勝手に思ってますが、その"がんばってる姿"をどこでみてもらうのか、何をみてもらいたいのかを明確にしたら、上のような質問をする人もされる人も少なくなるのではないでしょうか。

彼らにとって大事なのは、常に"いま"であり、1年後とか3年後とか5年後なんて遠い時間の先ではありません。

いま、彼らが起こしている行動や思考に対して、どれだけ真剣に向き合えているのか。それがボクにとって生きがいになっていることはいうまでもなく、それは仕事をすることと同じぐらい、下手したらそれ以上に「やりたい」と思っていることや「できるようになりたい」と願望を抱くことなのです。

なので、現状ができているかどうかはわかりません!だけど、少なくとも時間が経過することは事実なので、その中でどうにかやれることを必死にやっていこうと考えています。

それでは、また!

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