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不登校と通知表と学校と

どうも、ゑんどうです。

学校関連で共同通信とYahoo!ニュースの共同連携企画として「不登校で通知表「オール1」〝負け犬のレッテル〟に心かき乱される生徒」といった記事が出ていました。

記事の概要としては通知表の意義を問うもので、現在は編集者として働く方に過去の不登校時代に配布された通知表に記載された「オール1」に対する感情の吐露と、通知表を渡すことの意義を理解した教員との関係から不登校特例校の紹介などが整然と並べ立てられています。

多くの人は通知表を作成することの理由や意義について、あまり深く考えることはないのかもしれません。学期末になると学校から児童・生徒に配布され、家庭で確認するものだと思い込んでいるのでしょうが、不登校児童の当事者からするとまったく不要であると言わざるを得ません。

なぜ、不要だと思うのか。そもそも通知表の意義とは何か。そんなことを #ひとり会議 で議論してみたいと思います。

■ 通知表の作成は任意

あまり知られていないとは思うのですが、通知表は学校に作成の義務はありません。学校に作成の義務があるのは「指導要録」です。

指導要録とは、児童・生徒の出席状況や成績、健康状態などを記載した学校の公式記録で、学校教育法施行規則第24条第1項により、各学校の校長はこれを作成しなければならない旨が定められている。

日本の学校において幼児・児童・生徒・学生の学籍並びに指導の過程及び結果の要約を記録し、その後の指導及び外部に対する証明等に役立たせるための原簿となるもの、それが指導要録です。

児童生徒の大切なパーソナルデータで、転学や進学した学校にも抄本か写しを送ることが義務付けられているわけですが、何のために記録するかというと外部に対して証明する際の原簿という役割もありつつ、本義は教員がその児童・生徒の指導に活用するため、となります。

そこで通知表。

通知表は、原簿となる指導要録があるからこそ作成される副次的なもので、内部データである指導要録の一部を児童・生徒、保護者に向けて伝えることを目的に各学校で工夫しながら様式や伝え方を変えているもので、一様に決まった様式があるわけではありません。

どこも似たような様式になっているように見えるので定型的なものはあるでしょうが、記載項目や記載方法、教員からのコメント欄など各配置も含め、学校ごとに異なるものになっています。

で、これを作成し配布することは学校側に何の義務もないわけですね。

義務がないのであれば作成しなければいいじゃないかと思うものの、指導要録をつけている手前、ついでに作れるんだから作ってしまおう!というのが何十年も変わらないのではないかなぁ……と、ちょっと斜めな態度を取ってしまいます。

■ 不登校者に向けた通知表の実際(我が家の場合)

上記した通り、指導要録に記載してある内容を児童・生徒や保護者に向けて配布することの意義は、現状認識して次の階段に登るための動機にしてもらうことになり、いわゆる「指導の一環」であり、一種のコミュニケーションツールなのでしょう。

でも、そこでしかコミュニケーションを図れないのだとしたら、インターネットでいかようにもコミュニケーションを図ろうと思えば取れるのにも関わらず、学校教育の現場に蔓延る硬直さは岩よりも堅いんですよね。

なんだか滑稽と言わざるを得ないのですが、我が家の長男くんは不登校状態なわけですが、彼の通知表には何の記載もありません。当然といえば当然です。学校に行っていないのだから評価のしようがないわけです。

担任からは事前に相談が来ます。記載できるだけの情報がないのだと。

いや、わかる。わかりますよ。学校でテストを受けているわけでもなければ学習の様子を見ているわけでもありませんからね。記載できることがないのは重々承知しているし、それによって心苦しい相談を持ちかけてきてくださっていることには感謝と申し訳なさが混在します。

だったら配布しないで欲しいのですが、学期末には彼のデスク内に溜まり込んでいたであろう数ヶ月分のプリント類と共に茶封筒へ入れられて配布されます。

何の記載もない、通知表とは何を通知されているのでしょうね。ほんと、茶番だなと毎学期末に薄ら笑いを浮かべているのですが、彼は通知表に何の興味も持たないので、いよいよ配布されることに何の意義もないわけです。

“児童・生徒が課題を認識し、学習や活動を頑張れるように”するはずの通知表が、当人にとって何の興味を抱くことすらできない紙ペラなのですから、これを配布されることの意義を我が家ではまったく感じることができません。

■ 不登校を評価できない制度の問題

じゃ、担任が悪いのかっていうとそうではありません。当然です。彼らに決定権と裁量があるわけではなく、あくまでも学習指導要領、ひいては学校教育法に準じて仕事を全うしているだけですから。

悪い意味ではなく、あくまでも事実として彼らに責任があるとは思っていません。ただ、不登校となってしまっている児童や生徒を想定されていない学校教育法や学校教育のあり方、いわば制度に問題があるだろうことは強くいいたい部分です。

義務教育期間である小中学校における長期欠席の状況は過去最多となっていることは、良くも悪くも学校教育が今の子どもたちに適切だとは言い難い状況の現れなのかもしれません。

2022年時点で小学校と中学校とで合算すると9,356,525名が義務教育を受けているそうですが、そのうちの4~5%の児童生徒が長期欠席していることになります。この傾向は今後も多くなっていき、10%に到達するのも時間の問題でしょう。

出典)文部科学省「令和3年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果の概要」

フリースクールなどの選択肢が提示されるようになっているものの、そこに向けた経済的な支援はありません。義務教育を受ける年齢にある子どもたちは、学校という枠組みから溢れてしまった場合、それ以外の場所へ通うことが任意活動となるわけです。

そこに大いなる不満があるわけではありませんが、常に疑問を抱いてはいます。

通知表を受け取るのも任意でいいだろうし、何なら電子データでブロックチェーンとか活用すればいいじゃん、とか思ってしまいます。さらに、通知表以外のコミュニケーションを気軽に、もっと円滑にできるようになればいいのになぁ……とか当事者としてはモヤモヤし続けている次第です。

おわりに

我が家の場合は、ぼくが隣でカタカタと仕事をすることができているものの、そうもいかない家庭の場合は大変だろうとは思うのです。いや、ぼくも決して大変ではないわけではありませんよ。

隣で2桁同士の計算に苦しみ、涙ながらに悔しがっている姿を見せられたら仕事どころではありませんからね。

ただ、そうやって物理的にも心理的にも濃厚接触できる距離にいることができるのも残りわずかなんだろうと思うと、何ができるのかってことを常に疑問視しながら模索する日々です。

余計なことを経験しないと余計なものだってわからないですから、通知表も余計なものだって認識するぐらいまで受け取らないとダメなのかもしれませんな。ガハハ。

ではでは。

ゑんどう(@ryosuke_endo


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