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今日も明日も当たり前じゃなくて

ひんやりとしたアスファルトの上を歩いてる感覚ってわかりますか。氷じゃないですよ。アスファルト。

ちゃんと靴を履いてるのに「冷たい」と感じるぐらいに、空気と景色が一体となって冷え込んでる様子がビンビンと感じてしまうぐらいな冷たさ。

いや、特にそれに意味があるわけでも、なにかを含んでるわけでもないんですが、そういうのを見たところから“感じられること”ってあるよなぁ…なんて。

先日、ふとした用事があったので車を走らせ、長岡という街へ出向いたんですが、特別に寒いわけでも、あったかい訳でもなかったんですね。

どちらかといえば寒いですよ、冬だから。

けど、冬だからって何でもかんでも寒いってわけではないじゃないですか。日差しや風の吹き方によっては春みたいに感じることもあるし。

逆に夏にだって風が強くて雨が降ってる時には寒いと感じることだってあるわけで、結局は自分の状態次第で天候に対する感じ方も変わってきますよね。

いや、だからなんだって話でもあるんですが…

先日、我が家の長男を悪ふざけで本泣きさせてしまった話を書きましたが、まさかnote編集部のオススメに入れていただけるとは思ってませんでした。

おかげさまで、過去最高の閲覧数になりそうです。

この中で書いてることも、切り取り方によっては大人であるぼくが、あまりにもどうしようもないことをしているようにも捉えられます。

息子にフォーカスすれば、純粋で真っ直ぐでやさしい様子が見て取れるようにも思います。

はたまた、我が家の妻の最後の発言を読み、息子思いの母親なんだということも、読み取れるわけですね。

他にも、一見すると、どうしようもないことをしでかしてしまったぼくも、見方によっては長男の純粋で真っ直ぐでやさしい一面を引き出した様にも思います。

泣かされてしまった長男も、生真面目で嘘のつけない愚直な性格なんだということも見えてきますし、妻はきつい物言いをする女性なんだと見えてしまいます。

この文章だって、決して何かについて深掘りをする訳でもないのに、冗長になってしまっているし、それを書き続けるぼくがいます。

一方向かでなく、多面的に…なんてことを言われた過去を思い出しましたが、切り取り方によっては人を良くも悪くも見ることも容易にできてしまう訳です。

SNSでも、週刊誌やweb上の記事でもそうで、多面的に目を向けるというか、そもそも読まれ方が一様ではないことが前提になる訳で、読まれたいように読まれる、受け取られるというのは、実はものすごくレベルが高いことなんだということを実感しています。

ただ、生きることは死と隣合わせです。事故に望んで巻き込まれようとする人は、決して多くはないでしょう。

事故を防ぐ一番の予防策は、「なにもしない」ことですが、それだと生きている実感を得ることが難しいため、ぼくたちは何かしらの活動をする訳です。

発言をすることも、何かを書くことも、動くこともそうだし、見ることもそう。

何かしらの活動は行動となり、その人を表現することになりますが、見方によっては、もしくは見る人の状況によって“快”・“不快”が変わるように切り取られます。

それは何も自分以外の人の話ではなく、自分自身だったそうな訳です。それであれば、できる限り、前向きな捉え方をしていたい。

嫌な気持ちで瞬間的に自分の人生が終わってしまったのだとしたら、それこそ後悔しそうなものですから。

今日も読んでいただきありがとうございます!今日も明日も当たり前じゃないんですが、昨日や一昨日も当たり前じゃなかったんですよね。



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