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想像と未来の関係

人が持つステキな能力の一つに「想像」があると考えています。想像ができるからこそ新たな物事が生む原動力になります。時には想像をしてしまうからこそ、心配や不安を感じてしまうこともあるため、状況や場面によっては有益なものになることもあれば害悪になってしまうようなこともあるのかも知れません。いずれにしても、想像をできるからこそ楽しみに待つ気持ちを抱えられるような状況を生み出せる、つまり「ドキドキも内在させることができる」のだと考えると「想像できてよかった」と思えて仕方ありません。

ぼくは「過去が未来に向かっていく過程の中に現在がある」のではなく、「未来が現在に向かって来ていて、その積み重ねが過去」だと考えています。ただ、そこには人の想像力が存分に影響を与えるため、想像力を発揮しなければ「つまらない未来」しか訪れないし、言い方は悪くすれば「その程度の未来」しか訪れないともら思っています。

想像力を働かせることに「積み重ねてきた年齢」は関係ありません。ただ、「精神的な若々しさ」は必要だとは感じています。つまり、「積み重ねてきた結果」しか見れない大人ぶった態度ばかり取るのではなく、「これからの可能性」を期待する童心みたいな感情を持っているかどうか、持てているかどうかです。

我が家は幸いなことに「子ども」と生活ができているため、「未来しかない態度」を目一杯表現してくれる存在が身近にいます。彼らと過ごしていると痛感するのは、子どもが10年や20年といった大きな時間の流れを把握することを希望しない、そもそも必要だとすら思ってもいないことです。存在してなかったとすら思っているようにも感じる「子ども」には「未来志向」というよりも、未来しかありません。

彼らは直近の日単位、週間単位、年間単位までは記憶が定着してくる頃にやっと振り返ったり、見れるようになったりしますが、表現をするならば足元しか見えないような状態だといえます。長い時間軸の中で、過去に自分たちのはるか祖先が起こしてきた「歴史」は、見れないし知る由もない。「恐竜」などの引きのいい存在に良くも悪くも引っ張られるため、その単位が一気に千万年単位、億年単位になってしまいます。

未来を見るためには視座、つまりは視点の高さが重要であり、必要になります。どういうことかといえば、「歴史は繰り返す」の格言があるように、人は過去にやってきたことを踏まえて行動をアップデートするソフトウェア的に振舞うことはできるものの、感情という機能が備わっているために本質的にはソフトウェアになりきれません。言い換えれば、人類は生まれてから死ぬまでの歴史を幾億も繰り返しているのにもかかわらず、それを全てとは言わないまでも大半が無駄に帰すような過ごし方をしているため、壮大な「無駄」をしていることになります。だから必然的に「同じようなこと」を繰り返してしまうのです。コンピューターのように、それまでの無駄を踏まえた高機能な人を生産をできるような仕組みは人の体に備わっていません。

それが「人の魅力」なのかもしれないのですが、人類は多大な無駄を常に繰り返していると言ってしまえば、それは適当なものだとぼくは考えます。

ソフトウェア的に振る舞える、という話は、大きな歴史を残すことで壮大な無駄や痛みを軽減できるようにしているのだと言い換えることができて、これはたとえば、戦争のように昂った感情を抑えきれずに行動してしまうことは、多くの悲劇しか生みません。そこで人は「痛みや悲しみしか生み出せないものは繰り返すべきではない」とし、歴史として残すのです。ただ、あくまでも人はソフトウェア的に振る舞えるだけなので、その数が減少するようなそぶりを見せるものの、本質的には変わりません。

以下の過去1,000年で起こった戦争を5分で確認できる動画を確認してもらえると、1世紀ごとにその頻度が異なりつつも数自体がそれほど減少していないことが視聴感覚的に理解できると思います。それは人が誰もがチョボチョボだということの何よりの証左かもしれません。

ソフトウェア的に振る舞えるのであれば、歴史を学ぶことで視座自体をあげること、視点の高さを身に付けることができます。高さを身につけることができれば少し先の未来も見えるようになったり、十年先、二十年先、もっと先の百年先などを見据えることも可能になるともいえます。

人の想像力に魅力があるのは、何十年の歴史の中で移ろいできた時代の流れを読めるだけの視座を持ちえた際に最も大きく発揮されるもので、世界的な発明や世界を根本的に覆してしまうような出来事の多くは、ちょっと前の過去を見れた上で、同じぐらいの期間の未来まで見据えた人が文脈を読んだ上で想像することによって、未来から現代に通ずる道筋を描くことから成り立ってきたのだと、ぼくは勝手ながらに思っています。

想像をするからこそ、創造できるのであって、創造ができるから想像ができるのではありません。長男くんが時代や歴史に対して興味を持ってきたタイミングで、彼に対して「想像することは大切なことだし、いいことなんだよ」と話したのですが、それと未来の関係ってのはすごく密接なものだなぁ、と感じたことから書いてみました。


どうも、ポエマーです!


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