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PRや広報の意義が理解される1年が2020年だ

ぼくたちが生きるこの地球上には、2019年時点で77億人いるそうで、2050年には、ほぼ100億人になる計算だそうで、世界的には人口が増加傾向にあるそうです。

ぼくが住んでいるのは日本で、その中でも地方都市の新潟です。日本の人口が減少傾向にあるのは報道などで多く喧伝されている内容でもあるので、ご存知の方が多いかと思います。

その中にいくつもある地方都市である新潟はどうなのかといえば、目一杯の右肩下がり状態で人口が減少し続けています

日本はどうやら、人口ボーナスにおける経済的な恩恵は受けられそうにありません。また、それを前提にした発展を遂げなければならないのだと考えると、言語などの壁が邪魔をしそうですが、ドラえもんの秘密道具にある翻訳こんにゃくレベルの同時翻訳が手元だったり耳元で可能な状態にはなりつつあるので、それほど心配はいらないのかもしれません。

それでも、言葉を扱うのは人ですから、細かい「意味合い」や「空気感のある発言」となると、実際に話せる人と、そうでない人との間には結構大きめな差が生じてしまいそうではあります。

ぼくの実家であるそば処上州屋は、経営権の譲渡って形で父親の手元から離れました。結果的には、良かったのか悪かったのか…といったところでオチがついてしまったのですが、これに限らず、今後も中小企業の事業の継承や譲渡は頻繁に起こっていくように思います。

優秀なサラリーマンを経験してきた人たちが、その経験を担保に後継者のいない中小企業の経営権を手にし、復活なのか、維持継続なのか、発展なのかはわかりませんが、それまでの取り組みでは解決のできない課題をどうにかするような仕事をする人たちが増えていくでしょう。

つまり、中小企業の数が減りはするものの、法人納税者として日本の中における中小企業の存在感は、これまで以上に増して行くのだと考えています。

同時に、小さな個人が組織的な活動を行い、大小様々な企画を作っては提供するような状況も活発になっていくでしょう。

そうなった際に、企業的な組織だろうが、自発的な組織だろうが関係なく、自分たちの活動や実績について、きちんと丁寧に伝達をするPRや広報の重要性は増していくと言えます。

なぜなら、それらの組織は莫大な「広告予算」など持っていません

また、代理店などを否定するつもりはありませんが、ウソか真実かの判断に困るような「広告」が生まれる機会が0ではないことを考えると、そこにお金をかけるよりも自分自身で誠実に事実を発信し続けるPRや広報へコストをかけた方がいいのだと思えます。

広告自体がなくなるとは思いません。

広告を取り組むことによって、知り得る人や出会える人が幸福になってきた過去がありますし、その未来もあるのだと思えます。だから、なくなるとは思いませんが、その割合は小さくなって行くのではないか、とぼくは考えます。

理由は単純で、自分たちの伝えたい情報や事実を、自分たちの言葉で、表現で、何よりも自分たちの顔を出しながら発信して行く方が簡単であり、本来的には有益だからです。

そもそも、なぜ、情報を発信しなければならないのかと言えば、世の中の人たちは「自分」や「自分たち」の生活をするのに必死なため、他人に興味はありません。もっと言えば、他人のやっている内容など知る由もありません。わからないのです。

つまり、発信しなければ誰も自分のことはもちろん、自社の製品やサービスを知る機会など皆無なのです。

独り言を言う場所だとしても、多くの人が集う場所であるならば、それを拾ってくれる人もいるかもしれませんし、それが誰かに響いたのであれば、響く内容であったのならば、友人や知人に紹介してくれるかもしれません。

それは発信をしたからこそであり、発信をしなければ、誰かの行動を引き起こす機会なんて生まれません。

それをどう伝えるのか、どうやったらもっと人に届くのか。信頼される情報として、扱ってくれるようになるためにはどうしたらいいのか。

自分や自分たちが掲載されて嬉しい媒体や場所はどこか。それらを丁寧に吟味し、載れるように働きかけて行くのがPRや広報です。

自分たちがやっていることは、誰でもない自分たちこそ知っています。その価値は、対外的な評価が必要ではありますが、自分たちの魅力をきちんと認識・把握し「誰かに伝える」ためには、それぞれの組織にPRや広報を担える存在が必要です。

それは、今後、機械化社会が訪れるのだとしたら、余計に必要な立場だと言えます。

ぼくは2020年が、PRや広報の存在意思が認められるような状態になるのではないかと思っています。

特に、自前のコンテンツを抱えていたり、他よりも優れている”何か”を持っている人たちは余計に、その意義を考える時間が訪れるのだと考えていますし、そのきっかけが東京を中心に開催されるオリンピック・パラリンピックになるのだと思います。

ぼく自身、それを実践しながら働きかけて行く一年になるかもしれないなぁ…と感じている1月1日。みなさん、やってやりましょう!

あ、そう言えば、明日で35歳になります。

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