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#部活の思い出 というタグをみつけたので部活動について(帝京長岡のサッカー部だったこと)について

どうも、えんどう(@ryosuke_endo)です。

今日も雑談レベルで #部活の思い出 を書いていこうと思います。

高校生の頃に部活動へ所属していたのですが、スポーツ系のいわゆる運動部って括りになるんですかね。帝京長岡って高校でサッカー部に所属してました。

ところで、部活動の括りに「文化系」と「体育系」といった括りが存在しますが、ここに違和感が生じているのはボクだけですか?

そもそもスポーツ関係者の人たちは「スポーツを文化に」といって活動を続けているのを耳目してきましたし、末席を汚した身としてもその様に認識・意識しながら活動をしていました。

ということは、スポーツ系の部活動も「文化系」になりません、か。

「いやいや、部活動であってスポーツコミュニティじゃないから!」と言われるのであれば、それはそれで構いませんが...

すいません、ちょっと気になったなぁ......と思ったもので。。

話を戻します。

ボクが入学した2000年はシドニーオリンピックの年でもあり、水泳アスリートの中村真衣さんが出場するということで、彼女の泳ぐ姿を学校内で視聴する機会なんかがあったのを思い出します。

2020年現在の帝京長岡高校のサッカー部は(サッカー関係者の中で)全国的な強豪校として認知されて...るはずで、その証拠と言っては…ですが、2019年12月末から2020年1月半ばまで開催された全国高校サッカー選手権大会では全国ベスト4となりました。

すごいですね、ホント。

ボクが入学した当時、新潟県内でも強豪校として認知されるかどうか、と言ったところでした。全国ベスト4どころか新潟県大会のベスト8まで残り、そこからあと2回勝てるのか...果たして...みたいな。

2000年当時、帝京長岡高校サッカー部は夏のインターハイで初めてのベスト4に残ります。結果、決勝戦への進出はできなかったわけですが、何が何だかわからないながらも、悔しがる先輩たちの姿を見ながら「勝ち続けることの難しさ」を実感したのだけは鮮明に覚えています。

その冬には上記した全国高校サッカー選手権大会の本大会へ初めて出場することとなりました。そう、新潟県内で負けることなく勝ち続けた結果、全国大会へ出場することになったのですね。

つまり「初めての機会」に立ち会っていたことになります。本当に立ち会っていただけです。優勝が決まった瞬間に応援席からブワーッと興奮した学生たちが雪崩れ込んでしまうという珍事件が起こり、随分とお叱りを受けたのではないでしょうか...。

当時も今も変わらずに現場に立ち続けている谷口哲朗先生は厳しい指導をされた印象が強いのですが、同時に、所々で目標設定について語ることが多かったのも印象に残っています。

厳しい、というのは求める基準が高いことと同義だとボクは考えています。当時高校生だったボクたちに対して谷口先生が述べた言葉で、特に印象に残っているが目標設定について語ったときのことです。

「このチームが目指すのはあくまでも日本一になることで、それを下げることはしない。つまり、自分が求めることも日本一になるために必要なことだから、その要求を下げることはしない。できることも、できないことがあることもよくわかっているけれど、このチームで活動をするということは、その基準でやっていく、ということだから。」

これ、できない側からしたら背筋に冷たい水が走っていくのを明確に感じる様な言葉だったのですが、同時に、ワクワクしたのを覚えていますし、何よりもその基準を満たせる様に努力というか、とにかくひたむきにやり続けていかなければならないんだな、と意識した言葉でもありました。

おそらく、この目標設定自体は何ら変わることなく、ただ手法や姿勢は時代によって変えてきたのでしょうし、ボクが高校2年生の頃に始動した長岡JYFCというチームの発足など、結果的に地域の活性化につながることを意識しつつも環境整備にも力を入れ始めたのもあってこそ、全国大会での上位進出なのだろうと思うと、学生側からでは見ることができない努力の跡を感じます。

ボクが指導をしてもらっていた当時の先生は20代でしたし、同じ20代でボクはどうだったのかを思うと恥ずかしい限りでしかありません。そんなボクも高校入学当時から20年経ち、すっかり中年になり切ってしまいましたが、谷口先生の様なジャックナイフみたいな切れ味で誰かを引っ張るリーダーシップを持つことはできません。

それでも、目標設定に対して厳格に自身に対しても、チームに対しても求めることをやめない姿勢については、比較することなんておこがましいですが、低い目標設定で「できること」を増やしていくというボクのベースを構築する上では必要条件だったように感じています。

「部活動の思い出」だから「あの練習がしんどかった」とか「あのときのあの光景が...」みたいなことを書けばよかったのかもしれませんが、卒業してから18年経ってるのに、書いたのがそれだったら怒られてしまいそうな気がしましたのでやめておきます。

いずれにしても、中学校の時には球拾いが嫌で1日で野球部を辞め、周りからの圧に耐えられずにバスケ部も辞め、実質帰宅部として1年間を過ごした後に卒業アルバムでの掲載場所を気にした結果陸上部へ...だなんて過ごし方をしたスポーツ経験も大したことのない男子生徒をGKとして公式戦にレギュラーメンバーとして出場させてくださり、新潟県大会ベスト4まで導いてくださったこと、改めて感謝申し上げます。

ありがとうございました。

ちょっと縁遠くなっていますが、応援しております。

それでは、また。


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