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住む人がいなくなれば、家の中の物はすべてゴミ?

初めて笠岡の家を見たときの印象は、「思っていた以上にきれいやん」だった。

(笠岡の家に住むことになったきっかけは、こちら↓ )

この家に長年一人暮らししていた義弟のお母様は5年前に施設に移られ、今年1月に亡くなられた。
空き家になって以降、水道と電気は止めずにいて、県内に住む義妹夫婦が年に2回庭の草刈りはしていたようだ。

2月にお母様の納骨のため急遽アメリカから帰国した義弟が、埃だらけだった風呂場とトイレと畳の上をきれいに掃除してくれていたので、私が暮らし始めた3月には何とか住める状態ではあった。

ただ、家財道具一切そのままで、家中物だらけ。
ベッドの上には脱ぎ捨てた服。
台所の棚には賞味期限を3年以上過ぎた買い置きの缶詰や乾物が山のように詰まっていた。
さて、どこから手をつけるか。

私には実家整理の実績がある。
京都の実家は、父が亡くなった15年前から、たくさんある押し入れを私が一つ一つ整理していった。
実家は、いくらでも入る広い押し入れがたくさんある古い日本家屋。
暮らしていたのは、何でもモノを残しておきたがる世代。

一つの押し入れを開けるたびに、出てくる出てくる、
「いつ使うの?」「誰が使うの?」「何のために置いてるの?」なモノが山ほど。

着物は古着屋に。器の一部はバザーに。
父の残していた古い本や地図、ポスターなどは、大学近くの古本屋さんで意外と高く売れた(昔の資料として大学の研究で使われることが多いそうだ)

一番多かったのは5客セットなどの器やカトラリー類。
「いつか使うから」「人が来たときに困るから」「高かったから」と言う母に、「いつかって、いつよ!」「誰が来んのよ!」「高くても使わないならゴミと同じ!」と押し切り、すべて処分した。

ほとんどケンカ腰だったが、無くなれば無いで困ることなど全くない。
それらの器が押し入れに入っていたことさえ忘れていたのだ。
今では「すっきりしたわぁ」とのんきに母は言う。

部屋の整理ができない、物が捨てられないのは、思い出があるからとよく言われるが、私はもともとモノに思い入れがない。
別にミニマリストでもなんでもないが、モノが増えるのが嫌いで、部屋にモノが多いと息苦しくなる。

大学生のころ住んでいた下宿は、古い日本家屋の一軒家の2階の部屋。
今でいうシェアハウスだが、床の間があったので花を飾り、部屋にはコタツ机しかなかった。
遊びに来た同級生の男の子が「旅館みたいやな」と言ったほど。

片づけるのが好き、というより捨てるのが大好き!だ。
こんな私だから、空き家の整理、掃除には燃えた。

義弟と義妹からは「すべて処分してもらって結構です」と承諾も得ていた。
あとはもう、捨てるだけだ。

お試し移住なので、要らないものは処分、使えるものは残す形でスタート。
3カ月間の季節バイトで週に5日は近くのブロッコリー農園で収穫の仕事をし、週2日の休みは掃除とゴミ出しに明け暮れた。

  • 棚や押し入れの中のものは、いったんすべて外に出す。使えるものだけ残し、燃えるゴミと燃えないゴミに分けすべて処分

  • 棚や押し入れはきれいに拭き掃除

  • ソファ、ベッド、箪笥はすべて動かして床掃除。家具類もきれいに拭き掃除

  • 汚すぎるもの、壊れているもので、1人で運び出せる程度の大きさ、重さの家具類、割れ物(ガラス類)は、納屋へ移動

  • 食器類はすべてきれいに洗い直し、食器棚へ整理して入れ直す

  • 10組以上あった布団のうち、汚いもの、カビ臭いものはすべて大型有料ゴミで処分。使えるものは、すべて干し、シーツ類は洗い、布団袋、座布団袋、毛布袋を購入して整理

  • 納屋に置いてあったものもいったんすべて出して、必要のない物は処分。農具を整理。部屋から運び出した不用品の置き場を作った

食器棚からすべて出した器類

暮らし始めて1ヵ月半の休みの日は、とにかく整理、掃除。
買い物に出る以外は、観光はおろか、どこにも行っていない。

廊下を歩けば隅に積んであるモノが、隣の部屋を見れば押し入れが、押し入れを開ければ中の棚が、次々気になって手が止まらない。
昼ごはんを作るのも食べるのも時間がもったいなくて、掃除しまくっていた日もあった。

食器棚から食器類をすべて出したときには、干からびたG(ゴキブリ)やM(ムカデ)も出てきた。
食器棚を片づけ始めた4月初めにはまだリアルにGやMには遭遇していなかったが、そのうち出没するのは間違いない、ということにも気づかされた。

家も広く部屋数も多いし、押し入れや棚も大きい。
25年以上一人暮らしだったのだから、子や孫が泊まりに来るとき以外は布団も茶碗も使う人がいない。
いや、それ以上にもともとの数が多すぎる。

義弟の話では一番多いときはこの家に11人が暮らしていたそうだが、家族が減っても使わなくなったものを捨てたり整理したりした形跡は、ない。

立派な座敷机が6台もあった。
ふすまを外せば座敷と居間でかなり広いスペースになるので、冠婚葬祭のときにはここに座敷机を並べたのだろう。

今はほとんどの家がテーブルとイスの生活だから、畳に座るタイプの座敷机は必要ない。
重いし、折りたためないし、大型ゴミとして出すのも難しい。
ひとまず、広い座敷の隅にて立ててまとめておいた。

箪笥や机、ベッドなど大型家具以外はかなり捨てた。
出てきた布団の半分は捨てた。
カーテンも薄汚れたのは全部捨てた。
衣類や小物類はゴミ袋に何十袋も捨てた。

それでもまだ、ある。
まだまだ、いっぱい、ある。
2階は手つかず。

いわゆるゴミ屋敷ではない。
広い家に住民が一人暮らしを続けていただけで、このゴミ。
あぁ、空き家のゴミ問題。
何とかならんのか……。

田舎の空き家問題。続きます。




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