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フェティッシュでマネタイズは考えないほうがよい。という路線。

突然の切り出しですが、いわゆるフェティッシュというものをコンテンツ(=表現、作品)でやっていこうとすると、行く先は「ポルノ」「アート」「広告」のいずれかになります。

ここにマネタイズの要素を加えると、ほぼ行き先はポルノになる。
フェティッシュを広告でマネタイズしようと考えたら、海外のハイブランドやVOGUEのような仕事でもやるほかなく、まあ普通は広告でフェティッシュなど使わないので、利益を考え出すと結局はフェティッシュという言葉を使っていても「エロ(ポルノ)」、それもわかりやすいエロに走らなくてはならない現実があります。

マネタイズ可能なポルノ指向のフェティッシュとは、ほぼ「裸」「性」「行為」を売り物にして本来のフェティシズムからはだいぶ乖離してしまう。
なんとなくエッセンスやトッピングとしてのフェティッシュ要素を振りかけた性の切り売りになっていき、早く安く大量に製造販売していく道をひたすら走り続けることになる。
結果として「エロのわかりやすさ」はあからさまなものやより刺激的なものになっていく。そうなってくるともう表現とは違った次元のおこないになっていきます。

DOCTRINEでは、なるべく長く「表現としての活動」をしていきたいので息切れしないことが最優先。
つまり、収益のために必死になるとか、収益を目的にチキンゲームのようなポルノ制作に勤しまなくてはならない状況に踏み入るのは違うよねということです。

ポルノをやるにはやはりその道のプロでないと厳しいところがあります。
例えばセックス産業で商業活動をしている人が副次的に生成されるものをコンテンツ化するとか、ポルノメーカーが販売チャネルのひとつとしてやるとかそうでないとなかなか成功させづらい。
さらに「裸」「性」「行為」の売り方(=見せ方)がわかっていて、そもそもの「その仕入れ・製造」ができるという体力が必要で、もうそれは覚悟を決めて専門特化しないと無理だよねとなってくるわけです。
単なる個人が生半可な気持ちでやったところでその過酷なレースでは生き残れないです。
いまは女性であれば自分自身を素材にその調理・提供ができるという事実はありますが、それは面倒な話になるので割愛します。

話を戻して、DOCTRINEではたまにガチなヘビーラバーなものを作りながらも活動のベースとしてはそのジャンルの頻度は減らします。
理由としては単純で、既視感のあるものを粗製濫造することが目的ではないし、それをちゃんとしたクォリティでたくさんやるには莫大な費用がかかり現実的ではないからです。それでは息が続かなくなりますね。

過激なヘビーラバーの作品だけをたくさん見たいという期待はあるのかも知れませんが、残念ながらその期待に応えることはできません。
その企画制作に必要な予算を誰かが工面してくれるのであれば可能ですが、多くの人はそのような無謀な投資はしないでしょう。
さらに、仮に希望通りのコンテンツをたくさん揃えたところで相応の対価をしっかり払って見るという人も少ないでしょう。
「XXなものがあったら買うのに」と言う人ほど買ったためしがない、というのはメジャーなコンテンツ業界の仕事で学びましたのでわかっています。
だからこそ小金欲しさに本業でもなければテリトリーでないポルノをやるべきではないと考えています。

そういうことで、いましばらくはラテックスやフェティシズムみたいなものと交叉しながらも「表現」の実験をベースに焦らず続けていきます。

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