肺がん 治療開始

20年以上前、研修医の時に、内科病棟で肺がんの治療に携わった。
もちろん、診察方針の決定には加わらず、病棟で上級医の指示に従うことが我々の業務だった。内科病棟で、手術をしない、もしくはできない患者さんに対しては、化学療法が治療の主体だったと思う。我々の業務は化学療法の薬剤を指示通り間違えず指示をすること。そして定期的に、中心部静脈ラインを患者さんに挿入すること、と記憶する。患者は病期が進むととても苦しそうで、化学療法の影響で食事も摂れないことが多かったように思う。まだ緩和ケアが確立していない時代、ターミナルの患者さんにも関わった。

そして今。
病院の上司から、「とにかく仕事を休んだ方が良い。」と言われ、1ヶ月の休暇を取ることになった。その間治療として、自宅で1日一回分子標的薬を内服していた。幸い副作用はほぼ無く、手の爪の周りの軽い皮膚炎がある程度。食事もでき、散歩も、トレーニングも出来た。少し咳が出る、右前胸部が少し痛む。でも、生活に支障は無かった。自分で、1番薬剤を吸収できるタイミングとして、起床時の内服、朝6時、と定めた。

時代は変わった、医学の進歩を体験している気がしたが、大病と立ち向かうイメージではなかった。

しかし、やっぱり心が痛い。40代で肺がん stage 4とは。診断から2週間は、気分もすぐれず、心も不安定だった。時間は無くはない。でも、とても論文を読んだり書いたりは自分の脳みそが受けつけず、唯一の憩いは現実逃避とも言える、読書だった。

軽いエッセイを読みたい時は、向田邦子さんの書籍を読んだ。軽快な文体、家族愛の描写に、時を忘れさせてくれた。そして、歴史小説を読んだ。

向田邦子さんは、飛行機事故で50歳台前半で亡くなったと知った。歴史的小説の登場人物はの多くは、20歳台で志し半ばに非業の死を遂げて行く。自分の来るべき時をイメージして、照らし合わせてみた。

Stage 4、おそらく大切な、でも単なる数字の分類である。五年生存率、決して0%ではない、そして、医学は進歩している。

診断から2週間過ぎて、死を強く意識しながら、だんだんと心の整理をする方法が出来てきた。
否認、怒り、取引、抑うつ、受容。心は、この段階がオーバーラップしながら、移りゆくと言われている。確かに、外れてはいない。
でも、受容とは、諦めではない。

一方、自分を取り巻く社会環境を考えれば、大きく人生を方針を転換すべき事がある。そろそろ、大切な方々に連絡を差し上げ、今後のことをお話しすることができるような心の状態になって来たかな、と感じ始めた。

未来を予測する、これが、がんと向き合って生きていく、ということなのだろうか。まず一歩ずつ、進んでみる。

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