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2)満州での平和な暮らし

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満州の日常

直射日光に当たると〇〇(※判読できず)がピリピリするので、午后三時頃までは午睡 それから夕方八時頃まで働いてゐるのです。三軒程先に前餅(チェンピン) コウリャンを臼で引いて、ドロリとした物を鉄板で焼く。これが、子供等の大好物で毎日の様に買わされてゐた ニラ等はさんで食べると仲々おいしいのです。 そのコウリャンを引くのに小さなラバに目かくしをしてぐるぐる廻ってゐるのが面白いと子供が見に行くんです。何も楽しみのない国境でも子供はそれなりの楽しみをすぐ見付けるものですね。 日系人の子供は少人数なので鮮〇(※判読できず)満人の子等とも遊んでゐました。こうした平和な日々が突然破られたのです。

予感

それは昭和十九年の七月の或る夜、満月がトウモロコシの穂の向こうに冴えて、何とも云えない牧歌的感じで一瞬見とれていました。来月の満月をどこで見るのだろうか。何故こんなことが頭をかすめたのか、自分乍ら変だなと思った事を其の後々よく想い出します。
この予感が現実となって、八月の満月は国境からの逃避行の途中で見ました。

異変

八月七日朝から何時もと違った爆音がするのに気付いて外へ出て空を見上げ首をかしげ乍ら幾翼の下の日の丸を確認しようとしても、高度が高くて見極める事が出来ません。 隣の奥様に声をかけ 共に見上げ乍ら、その金属音が何とも不気味でなりませんでした。〇(※判読できず)境ですから毎日 飛行機は飛んでゐました 両翼に日の丸が下からよく見えてゐたのに 今日のは違う様だと、不安を感じた事をよく覚えてゐます。

九日 出勤した主人達が帰って来て 一時大きな部隊のある地点へ集まるから身の廻りの〇(※判読できず)を急ぐ物から順に番号を付けておく様にとの事でした。

逃避行

私は八カ月目に入ったばかりの次男がゐましたので容易な事ではありませんでした。この日も金属音の飛行機が終日飛んでゐました。翌 十日午前七時 集合の命令が夕方ありました 所が未明から飛行機の機銃掃射で家の壁にプスプスと当たるので こわくて動けません。掃射の止み間に 漸くおにぎりを作り子供等に食べさせ、焼米を主人が腰に 一戸の準備が出来た次は 機銃掃射は激しくなり外へ出ることは全く出来ません 私の家の〇(※判読できず)上に当る地点に〇(※判読できず)境警察隊があった故で機銃射げきは外よりも激しかった様です。

漸く満炭(満州炭礦老黒山)〇(※判読できず)トラックに 一番最后に思いがけない人に引き上げて貰って乗る事が出来て。 それも朝 警備に付く爲 早く出かけた主人に乗ったかと走り乍ら言って行ってしまった。途中何回もソ連機の機銃掃射に会いましたが 乳児と子ども 六才 四才の三人を連れての乗り降りは出来ません。皆が降りて逃げても 私達母子はトラックにじっと身をひそめていました。

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