舞台「デカローグ1&3」を観てきたんだな
舞台「デカローグ1&3」
を観てまいりました。
クシシュトフ・キエシロフスキ
と言う日本人にとっては言いにくいポーランド人巨匠が亡くなったのは、1996年3月13日の事。54歳だった。
まだまだインターネットなど発達していなくて、パリからの電話でワタクシは彼の死を知った。今ならインターネットで即日全世界ニュースと言うところだろうけれど。
パリで製作活動をしていた彼は心臓病を患い、手術を母国で受けたいとポーランドに戻り亡くなってしまった。自分の死を覚悟してたのかもしれない。
2026年、つまり2年後は30回忌になるけれど、この舞台は何故に今年だったのか?
まあ気にしないでおこう。2年後にワタクシが観られるとは限らないしね。
そんな事を考えながら、今回はデカローグ1と3を鑑賞。
ワタクシのキエスロフスキ作品との出会いは映画版の「愛に関する短いフィルム」だった。
ポーランド映画をほぼほぼ知らなかったワタクシにとっては、
ドキュメンタリータッチで、シンプルでありながら、痛いところを突いてくる彼の作風は新鮮で刺激的だった。
さて、今回の舞台はその1話目と3話目のなるのだけれど、簡単なストーリーがチラシの裏にあった。
同じようだが、ドラマ版とは少々違っているらしいとどこかに書いてあった。
Wikipediaの解説にもあったけれど、もともとデカローグシリーズはモーゼの十戒がモチーフとなっている。
ココにある1&3がモチーフになっているらしい。
1話目の「ある運命に関する物語」では、科学と宗教をぶつけてきている。科学と宗教を対比させる必要もないと思うのは、ワタクシは無神論者だからかもしれないが、1980年代の共和主義国家で、キュリー夫人を始めとして多くの世界的科学者を輩出し、かつカトリックの信者が多い国で作られた作品だからと思うと面白く納得してしまう。そして、
ある意味最も厳しい結末を持ってきているのが、キエシロフスキらしい。
今回の舞台では、その厳しい結末を冒頭から暗示している。そして、ゾワゾワ感が物語の間にずっと横たわる。買ってきたばかりなのに腐った牛乳、教会の前で死んでいる犬、突然動き出すPC。しかし、それが何を暗示しているのか?ただただゾワゾワ。
これもまたキエシロフスキと言う事か…。
ワタクシは、この舞台を観て、日本の映画監督よりも韓国あたりの映画監督の方が影響を受けた人が多いのでは?と感じたのだが、どうだろうか?
このゾワゾワ感はポン・ジュノあたりに感じるものに通じている気がするのだが…。
さて、2本目は第3話の「あるクリスマス・イヴに関する物語」。キリスト教徒にとって大切な日であり、家族がいれば家族団欒を楽しむクリスマスイブ。そこにかつての不倫相手が現れると言う恐怖。それも、自分を捨てた彼女に振り回されるとは。男にとって人生最大の試練かもしれない。
しかし、思ってしまうのだ。
不倫をしたら、このぐらいの罰を受けてほしいかも
と。
不倫相手であったエヴァ=小島聖さんの行動も、彼女の方が彼を振ったと語られると、どうなのよ?かまってちゃんかよ?と思いつつ、終盤で理由が語られると、彼女もまた罰を受けているひとりだったとわかる所は上手い!
(ワタクシは密かに舞台人としての小島聖さんに注目しているのです。)
結局は不倫であれ、結婚前の浮気であれ、当事者同士の問題であり、他者がどうのこうの言う事ではないとは思うけれど、順序(先ず別れる)ぐらいは守る努力をして欲しいものだと思うのです。
なんて事を、舞台を観ながら思うワタクシでした。
今回の舞台デカローグシリーズでは、各話異なる話でありながら、同じ団地が舞台であるため、どこかで登場した人物が別の物語にも登場したりする。
この仕掛けもまた、主人公たちは特別な人々ではない事を示している。
10個の物語はワタクシたち誰にでも起こり得る物語なのかもしれない。
ワタクシは映画版にもなっていた5&6を観る予定です。
それにしても年齢層高いし、男性客が多かったな〜。舞台化ではあるものの、そういうところもキエシロフスキ作品なのかな?
最後に舞台写真とかの載った記事を。↓
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