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それは哀しさに似た懐かしさ。

「ヒグラシ」

なんか夏って、エモいよね。

そんな会話を盗み聞いた僕は心中でうなずいた。
(エモいの意味を調べた後で)

エモいとはエモーショナルつまり感情的情緒的なさまを表すつまりなんか胸が締め付けられるというか…グッとくるよね…って意味らしい。

思い返せば、夏の記憶はいつだってエモい。
生きたことのないはずの時代の夏の風景が脳裏に浮かぶことすらあるから不思議だ。

入道雲、ばあちゃんの呼ぶ声、セミの大合唱、魚釣、アイスクリームでべとつく手、川に飛び込んで少し怪我したあいつ、畳に転がって輝くスイカの種、晩ご飯の匂い、その支度をする母の後ろ姿、雷鳴、夕立、夕焼け、ヒグラシの鳴き声…

賑やかで開放的なはずの夏の、なんとも言えない泣きたくなる心情が、僕にもよくわかる。

誰ともさよならしていないのに切なく感じる夕暮れ時みたいな感情。

夏になるとヒグラシの声をうっとり聴きながらタバコをふかす父の姿はとても情緒的だった。

多くは語らないけど、ヒグラシっていいよな、と呟くだけで、伝わってくるものがあった。

父の生い立ちを鑑みたりして、そのなんとも言えない寂寥感が自分の記憶から来るのではと錯覚してしまうこともしばしばあった。

おまえは歌はなんか違うなぁ、と僕が歌うことにあまりいいことを言わなかった父の誕生日に、勇気を絞ってプレゼントした曲がある。(懲りずに二回も!)

それが"蝉"と、"ヒグラシ"だった。
伝えこそしてこなかったけれどとても気に入ってくれていたことを母はこっそり教えてくれた。

アルバムのはじめとさいごをこの二曲で挟んだのは、漠然とした父に対する気持ちをすっごいさりげなく込めたかったから。

合わないとこも人並みにあるけど、畏敬の念は消えない。恵まれた親子関係だと思っている。

封じ込めていた哀しみは、ついに解き放たれることはないかもしれない。
かつて負った痛みはさいごまで笑ってくれないかもしれない。

しかしそれは幸福ばかりの人生よりも、ときにその人を深く優しくするのだろう。

失敗ばかりでも、結局立ち上がれなかったとしても。

幸せを心から願いつつも、どことなく哀しみをたたえたその姿から滲みでる慈しみ のようなものが、僕はやっぱり少し好きなんだと思う。

それは寂しさに似た優しさ。
それは哀しさに似た懐かしさ。


"おしまい"


読んでいただきありがとうございました。
デビューアルバム「Sain'o O」から「ヒグラシ」について書きました。
記事を気に入ってくださった方はぜひ楽曲もご試聴ください。
https://music.youtube.com/watch?v=-mN256SHkac&feature=share


CD販売も承っております。
https://rokurecords.theshop.jp/items/27619360

ありがとうございます。アルバム次回作の制作予算に充てさせていただきます!