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マイノリティの集団に感じた愛おしさ

「そんな怒り方するんだ…」と、ついさっき、お手伝いにいったオンライン講座での出来事にびっくりして参りました。

はじめて参加される方に、気を利かせたつもりで事前に連絡したら、「え? なんで私怒られるの?」という、いわゆるイチャモン的な言われようをされたのですよ。

でも、その人は、オンライン講座の案内文を、彼女の解釈のなかで彼女のパターンで理解して、その通りに進んでいないことに「間違ってる!」と、私に向かって怒りを投げてきたことはよくわかったので、

争っても双方嫌な思いをするだけなので、「誤解を与えるような表現をしてしまいすみませんでした」とお詫びして電話を切ったのです。

隣で聞いていたボスから、
「いやーすごかったね、ほんとにいろんな解釈の仕方があるもんだねぇ…」ということと、「さすがの対応だね~」とお褒めいただきました。

私、ほんとに久しぶりのぶっちぎりの思い込み発言に遭遇し、ただただ「びっくりした~」だけで、不思議なことにちっとも腹立たしくはなかったんです。

ボス曰く、「普通は、腹が立つよ」だそうです。

こんな書き方をすると、「私が優れててすごいっしょ!」って自慢じゃないか!と思われるかもしれないんですけど、そういうことじゃなくて。

「なんでこの人はそこで怒るかなぁ??」ってこと、日常の中でないですか?って話と、その対応について、思うところを書きたくて…。

認知のズレがある人と生活してると、こういうの、めちゃめちゃあるんです…。もしくは、いわゆる価値観がたいぶ違う人と暮らしてると、毎日、地こんなことばっかりが続いて、獄にいるような気分になったりしませんか?

わたし、そうでした。
こういう、「なんでそうなる?」の積み重ねがけっこうキツイっす。
夫とか、姑や舅さんとの生活って、「なんでそうなる?」そんな気持ちになりがちだったりしますし、発達障害の特性もってるわが子とかでも、めちゃこういうの感じているんじゃいかしら…。

なのでね。
「なんでそうなるの?」「あんたの解釈が間違ってるよ」という気持ちでパンパンにならないために、「あー、あなたはそういう解釈したんだね」という『違いを、違いとしてニュートラルに受け取る』と少し楽になるよ~ってお伝えしたくて…。

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私は、元夫との価値観や考え方がどえらく違って、話し合いもできなかったから、『違いを、違いとしてニュートラルに受け取る』を身に着けることで、自分と子どもたちを守っていたように思います。

結果的に、そのスキルが身についたことで、自分のQOLが上がったと思うんです。そして、最後は、元夫からは卒業しちゃったんですけど(笑)

でもまぁ。元夫との関係は、ソレでも、生活やら仕事していて、まじで腹が立たなりました。これが、めっちゃ楽なのですよ。

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人って、同じ場にいて、同じ現実を共有しているようでも、人ってそれぞれに違う世界を体験してます。

だから、同じ花をみても、
「うわ~、きれい。花の子ルンルンがいそう♪」「たのしいね~」って思う人もいれば、「くせぇな~。なんか、大嫌いな婆さんの葬式を思い出して、不快だわ」みたいな世界観を持つ人もいて、

すると、その花を準備した人を、その人の価値観で、「いい人」とか「悪い人」とか勝手に判断して、褒めたり、怒ったりしてるだけなんですよね。

私の場合は、元夫の認知が恐ろしいほどに私とは違う次元にいたから、いろんなことがことごとくかみ合あわなくて、シンドくて。
どうしたらこの男と同居できるのか…を探った結果、「世界は自分の解釈でできている」ってところに行き着いたんですけど、「人は世界を自分眼鏡でみて認知している」ってのは、心を学ぶとこういう話に行き着きますから、私の持論じゃないです。

それと。
発達障害の支援団体で働くってことは、お仕事で関わってる方々も、まぁ、いろんな濃ゆいものをお持ちです。ですから、「普通は…」とか「常識は…」なんてことは通用しません。ですから、その人がどう世界を把握しているのかを慮ってみることも、仕事を円滑に進めるうえでとても必要なスペックでした。

そんなことを長年やってきたから、今日みたいなことも、感情がまったく波立たないで、相手の立場で考えてるのが癖ででたのかしらぇ…と、久しぶりにモーレツな癖強めさんとの関わりで思い出しました。

あ。
私、今日のその人を、その人を馬鹿にしているとかじゃ全然なくて、「この人、一生懸命いきてるんだな…」と、なんだかとても応援したいというか、とてもとても愛おしくなってしまったんです。

他にもキャラ強い方、数名いらして、なんだか、みんなすごいね!がんばってるね!ってハグしたくなって(笑)

私が無類のお節介だってこともあるんだけど、母親としてもね、我が子だったら…って思ったら、なんだか切なくなってしまいました。きっと、その人は、一般的な社会の中で生きてくのは無理だと思うのですよ。

でもさ、マイノリティのコミュニティーってちゃんとあって、まぁ、いろんな場があるんだろうけど、ちゃんと機能している安心な場とかだと、認知のズレは「ズレてますよ~」って指摘はちゃんとされるけど、「ズレてるけど、あなたの存在は素敵ですよ~」みたいな受容をしてもらえる場もあると思うわけで。
そんな場が、彼女にあればいいのになぁ…って祈りたくなってしまったのです。

最小規模の場は、家庭になるかなあ…。
今日の講座とかに集ってくださった人とかも、
「そういう勘違いってアルアル」って言ってくださる人ばっかりですし。

「普通の人」って言い方はあまり好きじゃないけど、「普通の人」がいる社会では、私も生きづらかったし、いまだに生きづらさを感じます。

でも、今の私を取り巻く世界は、とっても優しくて、美しくて、温いのですよ。このまま、この温さにいつまでいられるかわからんし、とどまりたいのかもわからないけど、今日の人みたいな方は、こんな温いところで、少し立ち止まって休んでいけるといいのになぁ…って思いましたの。

そして。「がんばってるんだね」「辛いことたくさんあるんだね」
でもさ、「あなたの感じる世界は、あなたにとっては大正解だよ」
だけど、その世界は、人の世界とは違うんだよ。
「貴方も正しいけど、相手も正しいんだよ」
「どっちかだけが正しいんじゃなくて、どっちも正しいのよ」ってことを、こういう方や、ともに歩む方たちが理解できるようになるといいのになぁ…って思ったのです。

そして、私は、そういことを伝えられる人になりたいとも思いますた。

これは、ものすごく難しいよね。
でもさ、こんな風にみんなが思ったら、きっと素敵な世界になるのにぁ…って思った夜でした。
いつも以上にまとまらない文章ですんません。だす。


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